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忘れられないイタリア語の話 181-

忘れられないイタリア語の話

  ここに書いているのは、イタリア語の単語を覚える時に、私がクラスで生徒さんに記憶にとどめて貰うために話す内容を文章化したものです。いわば講義のネタ本です。英語の単語にも元がラテン語のものが多いため、ラテン語の系統を最も受け継ぐイタリア語を知っていると自然に英語が分かります。そんなこともここで確認してみてください。


181.Meteo  天気予報のこと。正確には、previsioni meteorologicheというが、ラジオやテレビでは、”Meteo”と言って、予報を始める。日本の天気は、偏西風に乗って西からやってくるので、西の方を見ていれば天気が大体解る。前日の九州や、関西の天気が翌日の関東の天気になるのが普通だ。だから、天気予報も聞くが、西の空を見て予想したりも出来る。しかしこの偏西風(I venti occidental)は、欧州にも勿論ある(はず)にもかかわらず、イタリアでは天気を予想するのに、西の方を見はしない。少なくとも私が知る限りは、西の天気は予想の基礎にはならない。そういう話をしたところ、いや天気予報を聞くだけだと言うことだった。私の印象ではどちらかといえば、南の天気が上がってくる感じだが、これはどうしてだろう。偏西風は、ある位置によってはジェット気流とも呼ばれ(これは同じものではないとの意見もあるやもしれぬが、専門ではないので細かいことは拘泥しない)、欧州から日本へ来る飛行機は、その反対よりもかなり時間が短縮される。パイロットは燃料費節約の為に、ジェット気流を探して飛ぶとも聞く。だから、欧州にも空の上に行けば、偏西風は吹いていると思うのだが、細かいことは解らぬが、これもイタリアでのちょっとした驚きではあった。さて、天気予報を聞いていると、地名を覚えることが出来る。 次のような地名が出て来たら、場所が解りますか? Ancona(Marche), Aosta, L’Aquila(Abruzzo), Bari, Potenza(Basilicata), Catanzaro(Calabria), Trento, Campobasso(Molise), Palermo(Sicilia), Cagliari(Sardegna), Caltanissetta(Sicilia), Savona(Liguria), Messina(Sicilia), Alghero(Sardegna)

182.Conclave : コンクラーベ(教皇選挙枢機卿会議)面白いイタリア語としては、この言葉は絶対に欠かせない。コンクラーベは、バチカンで法皇を選ぶための会議の事(またはその場所)である。最近では2005年のGiovanni Paolo Ⅱの逝去後に開催された。Con claveはラテン語の Cum Claveで、claveはchiave(鍵)のこと。 そして意味は(Chiuso)con la chiave(鍵で閉められた)ということである。この歴史は1270年までさかのぼり、Viterbo(当時ここに教皇庁があった)にて、教皇の空白が長く続いたのにしびれを切らした民衆が、枢機卿を閉じ込めて早く次の法王を決めるように促したことに源を発する。しかし、この言葉が日本で特に知られているのは、「根比べ」と音がほとんど同じであることによるだろう。実際に、100人以上の枢機卿の中から、2/3+1人以上の票を集める人が決まるまで何度も投票を、締め切った部屋の中で繰り返すのだから、根比べに他ならない。この状況は、Dan Brown著の「Angels and Demons」にも良く書かれているので、本を読まれた方は臨場感があることでしょう。映画では大分省略されていたようだが。なお、枢機卿の事はCardinaleという。これを聞いて、Claudia Cardinaleを思う人は、かなり古い人だ。私もそうだが。ちなみに、アメリカの大リーグの 名門セントルイス・カージナルスは、勿論スペルは Cardinals で同じだが、これはショウジョウコウカンチョウという赤い色の鳥のことであって、枢機卿とは関係がない。

183.tempo : 「時間」のこと。他に「天気」(Che tempo fa?)、「時代」、そして日本語で「テンポ=拍子」、文法用語で「時制」などの意味がある。temporaleは雷雨、嵐、同じくtempestaも同じ意味だが、temporaleよりは強いニュアンス。エミリー・ブロンテの「嵐が丘」はLa Tempestaである。何れにせよ、tempoが入っているので、一時的な強風という意味だろう。temporaneoは「一時的な」という意味である。ラテン語で pro temporeはこの副詞句で「一時的に」の意味で今でも使われる。バチカン市国では4つの言語が話されている。公用語はラテン語である。現在唯一ラテン語がつかわれているのがこの国だ。一般にはイタリア語が話され、外交時の言語はフランス語である。またこれは一部だが警護に当たるスイス傭兵はドイツ語を話す。北アフリカの観光地は欧州からの客を一年中迎える。夏は無論だが、冬も温かさを求めてアフリカ北部へ観光へ行く。近年はチュニジア、アルジェリア、などは政情不安の為、観光収入は減っているのではないかと危惧するが、ここらへ行くと観光業者は、アラビア語、フランス以外に、英語、ドイツ語、イタリア語を事もなげに操る。ドイツ人やスカンジナビアの人が英語をうまく話すのにはそれほど驚かない。これは、似ているから恐らくそれほど難しくはないのであろう。とはいってもドイツ人はあまり英語を話さないが、それはドイツ語で十分生活できるからに他ならない。一方ドイツの周り、特に東ヨーロッパの人は多くがドイツ語を話す。生活(仕事)の為だ。イタリア人やフランス人もそれほど外国語がうまくない。イギリス人になると、もっと外国語は出来ないだろう。話が脱線しそうになってきたが、アラビア語は、文字も違えば文法も違う。文字は右から左へと書く。かれらはなぜそんなに外国語を習得出来るのだろう?日本でも江戸時代の人は漢語が出来た。ずっと遡って奈良や飛鳥時代には、百済や新羅と交流があり、当時の日本(倭の国)人も高級官吏は百済語や新羅語を解した(黒岩重吾:天風の彩王)とある。これは史書ではなく小説だから事実かどうかは解らないが、必要に迫られると言葉は話すようだ。概して、所謂小国の国民は外国語を話すが、大国はまたは嘗て大国になった国(イギリス、フランス、スペイン、イタリアなど)の国民は外国語が苦手なようだ。日本も大国なのだろうか?結局話がそれた。tempoと言えば、tempura(天ぷらのことで、テンプーラと読む)を思い出すが、イタリアのFIATの車にTempra(テンプラ)というのがあった。こちらの方がアクセントが日本の天ぷらに近い。

184.civetta : 「ふくろう」のこと。auto civettaは覆面パトカーのことを言う(civettaにはもともと、狩猟の時に身を隠し忍び寄る馬=「忍び馬」の意味がある)。civettaは他に、誰にでも媚を売る女、浮気女の意味もあるようだ。また、「サクラ」の意味もある。店などとグルになって、客を騙すあれだ。覆面パトカーにしろ、サクラにしろ本来の姿(自分)を隠して行動することを、暗闇で行動するフクロウになぞらえてこういうのだろう。さて、ここから「桜」に話が移る。桜はciliegioである。ciliegioは桜の木のことを言う。では、ciliegiaはなにかというと、これはサクランボである。樹は男性形で、その実は女性形である。例えば、melo-mela(リンゴ)、pero-pera(洋ナシ)、castagno-castagna(栗)、arancio-arancia(オレンジ)、pesco-pesca(もも)など。bananaは実で、バナナの木はbananoという。一方樹も実もおなじものもある。 limone(レモン、レモンの木)、pompelmo(グレープフルーツ、グレープフルーツの木)など。尚、柿のことはcachi(カーキ)というが、これは複数で単数はcacoという。これも、木も実も同じです。さて、疑問は「花」です。実と樹は解ったが、花はどうでしょう。桜の花、梅の花、オレンジも、リンゴも花が咲きます。基本的にはなく、fiori di ~というしかありません。日本語でも本当は桜の花というのが正しいのでしょう。しかし、「花は桜」ともいう様に、日本では「桜」に関しては花の方が実(さくらんぼ)よりも優勢ですから、単に「桜」で通じるということではないでしょうか。その証拠に、ミカンも、リンゴも、レモンも一般には実を指しますね。従い、「桜=桜の花」は桜の木であるciliegioを使い、fiore di ciliegioといいます。さてfruttaは果物の総称ですが、fruttoは果実と訳されます。果物と果実の違いはなんでしょうか?これはどうも同じもののようです。fruttaは総称ですから複数形にはなりません。fruttoはfruttiと変化出来ます。「Ci vuole un fiore」という歌があります。Per fare un tavolo ci vuole il legno, per fare il legno ci vuole l'albero, per fare l'albero ci vuole il seme, per fare il seme ci vuole if frutto, per fare il frutto ci vuole il fioreという楽しい歌です。ci vuole~という表現を覚えるためには良い歌です。ここには、fruttaではなくfruttoとでています。さて、Banana Republicというブランドがある(アメリカ)のはご存知でしょうか。バナナ共和国とはなんとも楽しい感じがしたものですが、これは経済的に大変問題の多い小さな国の事を指すんですね。イタリア語でも同じ意味で、Repubblica delle bananeと言います。

185.lungo :長いという意味ですね。さて、caffe' lungoとは何でしょう?これは、薄めのコーヒーのことです。lungoは「薄い」とか「割ってある」という意味があります。動詞は、allungare「薄める」です。allungare il caffe'はコーヒーを薄めること、il caffe' allungato con la grappaは「グラッパで割ったコーヒー」です。鼻が高い(自慢ではなく、鼻の高さ)というのに、lungoを使うと聞いたことがある。成程、あちらは皆鼻が高いから、敢えて高いという言葉が目鼻立ちが整っているという褒め言葉にはならないとのことだろうか。高すぎると、「長い」という表現になってしまうのかも。Braccia corteは「ケチ」braccia lungheは力があるという意味だと178で述べていますが、avere le lunghe mani(手が長い)は「手癖が悪い」とか「手が早い」という意味になります。尚、北イタリア(ミラノを中心)にロンバルディア州(lombardia)があるが、これはlungobardoが変化したもの。lungobardoとは中世に北イタリアを支配したランゴバルド王国を支配した民族名であるが、意味は長い髭で現在イタリア語ならLungabarbaに相当する。英語でlong faceというと、「浮かぬ顔」という意味だが、イタリア語ではavere la faccia lungaは「ふくれっ面をする」となる。これは同じ意味かどうか、ちょっと違うような気がする。英語には、longには、退屈なという意味があるが、イタリア語にはない。言葉は似ているようで異なる。

186.ristretto: 狭いという意味だが、前項の「薄められた」に対して、「濃縮した」という意味がある。従い、caffe' ristrettoは濃いコーヒーということになる。最近のアメリカ人俳優が出るテレビコマーシャルでristrettoという言葉が出てくるので、英語にもなっているのだろう。strettoと言っても、狭いという意味では同じである。こちらは、「濃縮した」の意味はないが狭いということから、そのまま名詞で海峡という意味にもなる。Stretto di Messinaメッシーナ海峡など。英語ではstraitという。日本ではコーヒーの濃さを表すのに、薄い順に アメリカンーレギュラーーエスプレッソという表示を見かけることがあるが、ristrettoはその上である。caffe' alla turca(トルココーヒー)は、Espresso コーヒーのもとになったものと言われるが、こちらはコーヒーカップの中に粉がそのまま入っているので、特にトルコで飲むときには水と一緒に出てくる。確かギリシァのコーヒーもトルココーヒーのスタイルだったと記憶しているが。粉が入っているぐらい(カップの半分ほど)だから大分濃いかと思うが、ristrettoと比べてどちらが濃いのかどうかは解らない。コーヒーの濃さを論じるとどうしてもお酒と比較したくなる。何故ならコーヒーとお酒は色々共通点がある。caffeinaカフェインとalcolアルコールには、麻痺作用があり麻酔にも使われる一方中毒作用もある。そしてお酒もとても濃ければ水と一緒に飲む(勿論酒豪には水は不要だろうが)。イタリアではgrappa、中国では白酒(バイチュウ)、日本では泡盛など、水をそばにおいて飲む。または慣れていない人はそうして飲むことを推奨されるのではないだろうか。いずれも強いものは45度以上60度近くあるので、酒豪限定品である。

187.fiera : 商品市、見本市のこと。この言葉は私にとっては意外と懐かしい。以前の仕事の出張で2回目くらいだったと思うがミラノに行ったのがこのfiera。泊まったのが、この会場の前にあるHotel Fiera di Milano. 駐在が決まって、赴任するときには丁度このfieraの時期で、ミラノはホテルがどこも予約できない。実は、駐在とは言っても事務所作りから始める駐在だったので、宿舎を手配してくれる人はおらず、赴任の前日の夜になってやっと最初の一泊だけホテルが予約できた。このホテルがfieraの近く。しかし、かなり無理をした予約だったようで、階段の隣の布団部屋のような部屋だったのを覚えている。翌日一人の女性(この人はジャーナリストで会社が情報提供の契約をしていた人だったが、男勝りの女性でとても活動的)がやってきて、宿の事情を話すとじゃあ今から探しに行きましょうと、すぐに宿探しを手伝ってくれて、それから3ケ月ほど住むことになるResidence(長期滞在用のホテル)を見つけてくれた。この女性は未だにミラノ在住だが、私が会社をとっくに辞めた今でもお付き合い頂いている。今はどうだか知らないが、1980年後半から1990年初頭のイタリアでの衣料品・繊維関連のfieraは大盛況で、開催時は半径50㎞位のホテルは予約出来ないほどだった。いくつかの展示会は入場制限が厳しく、Buyerだからと言ってはいれるわけでなく、購入実績などがベースとなった招待状がなければ行くことも出来ないほど、やけに売り手市場の状態であった。そういう展示会を仕切っていたメーカーもその後の不況で大分廃業したとも聞いたので、今はそんな偉そうなことはいっていないかとは思うが、どうだろうか。fieraには、「混乱」「大騒ぎ」という意味もある。それで、alla fine della fiera という熟語は、「結局は」「要するに」という意味で使われる。直訳すると、「混乱(大騒ぎ)の末に」ということになる。

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