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忘れられないイタリア語の話 41-80

忘れられないイタリア語の話

  ここに書いているのは、イタリア語の単語を覚える時に、私がクラスで生徒さんに記憶にとどめて貰うために話す内容を文章化したものです。いわば講義のネタ本です。英語の単語にも元がラテン語のものが多いため、ラテン語の系統を最も受け継ぐイタリア語を知っていると自然に英語が分かります。そんなこともここで確認してみてください。


41.bravura(ブラブーラ):これはどんな意味なのか絶対に興味が湧く単語でしょうね。ぶらぶらしている、のではありません。これは名詞で、意味は器用とか熟練という意味。英語で言えば、skillに当たる。使うときは、La mia bravura e` cucinare. 私は料理がうまい。のように使う。一般的な能力というよりも、熟練に近い。日本語のブラブーラと重なり合うと、どうしても良い意味には取りたくな気もするが、この単語を使うときは日本語は忘れましょう。

42.tiramisù(ティラミスー):これはご存知のかたも多いかと思いますが、tira-mi-sùという意味である。もちろんお菓子の名前だが、最後のsu`にアクセントをおかないと意味が伝わらない。tirareは引っ張る、miは私を、そしてsùは上へである。つまり、tiraはtirareの2人称の命令形ゆえ、私を上へ引っ張れ!となる。そういう意味で使っても良いのだが、このお菓子の名前に含まれている意味は勿論違います。失恋をした女性が、私を元気づけて、誰か!と、こう言っている場面を想像しておいたほうがよい。つまり、tiramisùは、「誰か私を元気にしてくれる人がいないかな、どうか誘って」という、誘いのお菓子言葉なのですよ。

43.ninnananna(ニンナナンナ):なんという優しい響きの言葉だろう。そう、それもそのはずこれは、子守唄のことを言います。nannaは幼児語で「おねんね」のことをいう。ninnaも同じような意味だ。従いそうすると、ネンネネンネと言っているようなもので、なんとよく似ている。日本で使われている言葉に、non-no(雑誌の名前)があるが、あれはnonnoと書いたら、おじいちゃんの意味になる。ちなみに、おばあちゃんは、nonnaで、nannaによく似ている。

44.Mangiate, bevete, pagate (マンジャーテ、ベヴェーテ、パガーテ):mangiare「食べる」, bere「飲む」, pagare「支払う」というを三つの動詞を並べた言い方。何が面白いかというと、これはイタリア人が良く使うしゃれなのである。パーティなどで、「さあ食べて下さい、さあ好きなだけ飲んで下さい、そして支払って下さいね」と最後に落ちが入る言い方である。使うと必ず受けるので紹介する。私は日本人向けに、このあとにvolareを付けます。意味はわかりますね。尚、volareの本当の意味は、飛ぶです。ヴォラーレという有名な歌(若い人は知らないかも)があります。1958年のサンレモ音楽祭での優勝曲で、本当のタイトルは "Nel blu dipinto di blu"

 

45.reggiseno(レッジセーノ):女性下着の話をしよう。少し恥ずかしいのだが、というのは建前で、実は全くとは言わないが、下記の理由で、あまりそんな気持ちはない。reggisenoはブラジャーのことです。これは、reggere(支える)seno(胸)ということで、「胸支え」というのがその意味である。アジア人は胸が小さいからかどうか、支えという言葉は使わず、胸当て(乳当て)とか、乳押さえとか言っていたようだ。現に英和辞書でbrassiereを引くと、「乳おさえ」と書いてある。日本の着物では支えるというよりも、どう考えても押さえているとしか思えないので、日本では「押さえ」と言うのだろう。以前に下着の仕事で、高名なW社の創業者の方ともお会いしたことがあるし、パリではたまたま一緒に麻雀卓を囲んだこともある。大変豪快な方で教わる事が多かった。W社が中国でreggisenoの生産を始めた時に、その仕事に関わり、毎日reggisenoに埋もれていて、恥ずかしいなどと言ってられなかった。当時(1978年)の中国製のreggisenoは確かに胸当てだった。木綿の布を少し膨らみを持たせる様に縫い合わせただけだったのが懐かしい。イタリア語で最初何というのか分からなかったので、braと言ってみたら、通じない。実はPiemonte州にBraという町があるが、ブラジャーとは関係がないようだ。また、イタリア語ではショーツのことをslip(ズリップ)という。スリップのことは、sottovesteという(果たしてスリップなどいう言葉が今の日本で通用するかどうか分からぬが)。また日本でキャミソールと言うのが何を意味するのかよくわからないが、イタリア語でcamiciola(カミチョーラ)と言えば、女性用の肌着を指す。これは勿論camicia(シャツ、ブラウス)の変形です。尚、ショーツ(下着パンツ)は一般にはmutandeと言って、これは男女用とも同じ。slipというのは、いわゆるパンティに近い。ついでに、パンストはcollant(コラン)と言って、恐らくフランス語であろう。この言葉を使う。イタリア語にはパンストという言葉はない。実はイタリアでは、calze(ストッキングのこと)を履く人が多い。最後に、reggicalzeを上げておきます。reggereはreggisenoでは、支えるでしたね、calzeはストッキング。従いこれは、ガーターベルトのことです。

46.babbonatale(バッボナターレ): babboはお父さんの愛称、nataleはクリスマス。babbonatale(またはbabbo Natale)は、サンタクロースのこと。イタリアでは、サンタクロースとは言わない。サンタと言えば、Santa Lucia(聖ルチア)が有名なくらいで、クロースさんは知られていない。Nataleとは、誕生日のことで、Nを大文字にしてキリストの誕生日、クリスマスの意味となる。勿論キリストも、Gesù (ジェズー)と呼び、英語とはちと遠い。英語のオリジナルとは全く違う例を上げると、例えば、Mickey Mouseなどがそうだ。イタリアでは Topolino(トーポリーノ)と呼ぶ。ドナルドダックは、Paperino(パペリーノ)という。topo はネズミ、paperoはガチョウのこと。ちなみに、日本で昔流行ったトッポジージョは、イタリアではTopogigio(トーポジージョ)である。

47.strega(ストレーガ):「魔女」のことである。魔女というのは、女性の魔法使いのことで、昔魔女狩りという恐ろしい歴史がヨーロッパにあったが、これをcaccia delle stregheという。一方、男の方は日本語で「魔男」とは言わないで、魔法使いという。これは、magoという。Mago di Ozは、オズの魔法使いのこと。magoは手品師や奇術師のことも指す。magoの女性形のmagaが使われることもある。覚えておいて役に立つのは、colpo della strega。 直訳すれば、魔女の一撃だがこの意味は、「ぎっくり腰」である。 魔女の一撃を食らったくらいに凄まじいということだろうか。

48.portafoglio(ポルタフォリオ):portareは持っていく、foglioは紙のこと。この言葉は英語のportfolioとなって、書類カバンのことや、有価証券目録などの意味となる。また日本語でポートフォリオというと、投資運用資産の組み合わせ(portfolio mix)や資産構成分析(portfolio analysis)のことまでも意味するようだ。オリジナル(イタリア語)の方の意味は、「財布」である。portareは英語のホルダーにあたる用語に良く使われるので、覚えておくと便利な言葉である。portacenere(灰皿)、portachiavi(キーホルダー)、portafortuna(お守り)、portabagagli(荷物を持っていくことから、ポーター)、portavoce(メガホン)、portaombrelli(傘立て)など。

49.intimo(インティモ):下着について、もう一度書こう。男性はあまり気づかないが、下着には、肌着とコルセット(整形用下着)があって、これは別物である。肌着のことは、intimoと言い、これは男女兼用。そして女性用の締め付ける下着のことは、coresetteria(コルセッテリーア)と言う。corsetteriaとは、ブラジャー(reggiseno)、ガードル(corsetto)、ボディスーツ(これもcorsetto)、コルセット(busto上半身用))などのように締め付けるモノを言う。補整下着とも言うように、イタリアでは、一般的にはお年寄りか、乳がん等で補正が必要な人が身につけるものである。日本では、ガードルがやけに一般的なので、イタリアにもあるかと思いきや、若い人には縁がないものと知って驚いた。ソフトガードルという種類のものも基本的にはない。日本ももとは、下着はメリヤスとも言って、それ専門のメーカーが作っていたものだが、今は下着もコルセット類も作る業者が多い(とは言っても恐らく下請け)。イタリアの場合は、メーカーが自社デザイン、自社生産、自社ブランド、独自販売なので、下着屋とコルセット屋は、はっきり別れている。もし双方ともやっていれば、どちらかは委託生産であろう。メリヤスというのは、イタリア語のmaglia(編み物、ニット)が語源であって、magliettaはTシャツや肌着の意味でも使われる。日本の業者の依頼で、イタリアでブラジャーや下着の色の調査をしたことがある。イタリアは色に敏感なので、下着もさぞカラフルだろうとの思惑であったが、案に相違してイタリアの肌着は、白と肌色が殆どで、黒が少し混じるくらいであった。これは欧州全般の傾向で、従い、フランスでは日本のカラフルな下着が良く売れたと、フランスで日本の下着を販売していた人に聞いた事がある。下着の色で忘れられないのは、赤い下着。イタリアでは、12月31日の夜(San Silvestro)には、赤い下着を着る習慣がある。皆さんも12月にイタリアへ行ったら、下着売り場を覗いてご覧なさい。たった一晩だけのための下着で,売り場が赤く染まっていますから。

50.striscia(ストリッシャ):これは、ストライプのことである。つまり日本語では、「縞」。una camicia a strisceはストライプ柄のシャツ、 a righe ともいう。righeも同じく線や縞のこと。ここで使うaは前置詞。他に、 a quadri(チェックの)、a fiori(花模様の)、a pois(水玉模様の)などのように使われる。strisce と複数になって、横断歩道の意味もある(正しくは、strisce pedonali). stirisciaの動詞は、strisciareといい、これには、「はう(這う)」と言う意味がある。イタリアのテレビ番組に、striscia la notiziaという人気番組がある。これは、イタリアでの色々な事件を、色々なタイプのリポーター(コミック調のリポーターが多いが、政治問題や社会問題をとても真面目に取り上げるリポーターもいる)が、通常のニュースでは追求しない点をぐいぐい追求していくので、大変面白い番組です。是非一度ご覧になってみたらどうかと思います。ここで、使われているstrisciaは、日本語でどう訳するのか悩むところですが、蛇の様にリポーターが這って問題を追求するというニュアンスを込めた言葉でしょう。匍匐(ほふく)前進、足を引きずりながら歩くような意味でも使います。

51.torre(トッルレ):イタリア語でrの音は必ずしも巻き舌を使う必要はないが、強調するときには巻く。特に、Romaのように最初に使われRの次の母音にアクセントがある場合は、巻き舌を使う。オペラの歌手は、最初のRは必ずと言ってほど、強調した巻き舌で発音する。巻き舌が出来なくて失敗した話をひとつ。Pisaの斜塔のことは、la torre pendente とか la torre cascanteと言えば、斜塔の意味ですぐわかるのだが、Pisaでは、pendenteなどは使わなくても分かるだろう。と、思ってPisaに着いて早速informationへ行き、torreはどこですかと聞いた。係りが二人いて言うには、E` fuori, subito a destra.(外へ出てすぐ右だ)。というので、近いのかなと思い、Si puo` andare a piedi?(歩いても行けますか)と聞いた。一人が笑いながら、Se vuoi, predi un taxi. (もし望むならタクシーでもどうぞ)と言う。Grazie!とお礼を言って、外へでて右へ曲がって、目の前にあるものを見てに気がついた。私のtorreのrrは巻き舌でないので、彼らが何を教えてくれたのかを。informazioniに戻って、彼らの顔を見た途端、にこにこしながら、声をあわせて、Hai fatto? (済んだかい)と聞いてきた。この二人はあくまで真面目で、変な日本人が来て、トイレに行くのに歩いて行けるのかと聞いてきたと思っていたことだろう。そこで事情を説明して彼らがイタリア式に大笑いしたことを覚えている。これは、実際愉快な経験で未だに思い出すと笑ってしまう。さて、rrが続く言葉をいくつか上げておきましょう。巻き舌は、訓練すれば出来るそうです。 terra (大地)terremoto(地震)、ferro(鉄)、porre(おく)、introdurre(導入する)、birra(ビール)、morra(じゃんけん)、serra(温室)、verra`(venireの未来形)など

52. dondolare(ドンドラーレ):愉快な響きのイタリア語を追加しよう。ドンドラーレは、「揺り動かす」の意味である。この揺れ方は、ロッキングチェアや大波の揺れ方で、dondolaと言えば、ロッキングチェアのことを指す。これに対し、地震の揺れはscuotereという動詞を使う。この名詞形はscossaというが、dondolo(dondolareの名詞形)の方が可愛い揺れである。また、dondolaはブランコの意味でも使う。ブランコは正式には、altalenaというが、一般にはdondolaと呼んでいる。似た言葉にgondola(ゴンドーラ)がある。これは、ベニスにあるゴンドラのことで、こちらには動詞形はなさそうだ。尚、ブランコとは何語だろうと思うが、これはポルトガル語のバランソから来ているのではと思う。また、すべり台のことは、scivoloと言う。これも勿論scivolare(滑る)という動詞から来ている。

53. cicala(チカーラ)とzanzara(ザンザーラ):これも日本語のような響きです。cicalaはセミ、zanzaraは蚊です。ちなみに、mosca(モスカ)はハエです。このmoscaはMosca(モスクワ)と同じです。英語でmosquitoと言えば、ハエではなく蚊のことです。mosquitoは発音から言えば、mosqua(モスカ)に小さいという意味の接尾辞-ito(スペイン語、イタリア語でゃ-ino)をつけて、モスキートと名づけたのかと想像出来ますが、ハエの小さいのが蚊になったことになりますね。実は、イタリア語でもmoschinoと言えば、ある種の蚊(ブヨのような小さな蚊の総称)をいいますが、一般的な蚊は、zanzaraを使います。Moschinoはブランド名で有名です。イタリアのcicalaは日本のに比べると、鳴き声が小さいような気がします。また、zanzaraも湿地帯へいけば別ですが、空気が乾燥しているせいか、市内ではそれほど多くなく、夏の戸外での食事を妨げるほどではありません。イタリアで大変気に入ったものに、zanzariera(またはzanzariere)という蚊帳があります。これは、べランダを完全に覆ってしまいますので、蚊を気にしないでベランダで過ごせます。これは、開閉式になっていますので、開けっ放しにすることも出来ます。また、イタリアの蚊と日本の蚊の違いとして、イタリアの蚊は刺されてもすぐに痒くならず、大分経ってまたは翌日に痒くなると言います。虫も大分違うようですね。尚、イソップ物語に「蟻とキリギリス」という話がありますが、イタリアでは「蟻とセミ(formica e cicala」といいます。これは、もともとイソップ(古代ギリシア)物語では「セミ」だったのですが、欧州は北の方へ行けばセミはいませんので、キリギリスに変えられたのだと言われています。イタリアは、ギリシアと同じくセミがいる国なので、原文のまま残っているということ。日本へは、キリギリスへ変えられたものが輸入されて、翻訳されたらしい。この話は、夏の間に寒い冬に備えてせっせと働く蟻と、一方夏は歌ってばかりで何もしなかったセミは冬になって、蓄えも無く凍えてしまうという教訓なのですが、考えてみれば、キリギリスは秋の昆虫ですから、話に無理があるのではと言う気がします。

54.semoforo(セマーフォロ)とrotonda(ロトンダ) :semaforoは信号のこと、rotondaは信号のない交差点、つまりロータリーのことです。semaforo(信号)は日本と同じで赤は止まらなければならないが、イタリアでは右折車は、そのまま進む。車は右側通行で、運転席は基本的に左側にあるのは日本と反対であるが、交差点では基本的に右側優先という考えがあるので、左からくる車に対して、右にある右折車は優先的に進んで行く。最初は赤信号で右折するのは躊躇するがそのうちバス、タクシーはてはパトカーまで右折するのを見て、自信がつく。(但し、道交法的に許されているのかどうかは分からないので注意!)なお、赤はrossoだが、青信号はverdeである。良く見ると、あの色は絶対にbluではなく、やはりverdeである。次に、rodonda. イタリアはかなり渋滞しているイメージがあるが、もし前述の赤信号右折と、このrotondaがなければ、もっと渋滞する事は間違いない。rotondaとは交差点の真ん中に島(isola,普通は小公園)があり、車はその島の周りを回って、右折、直進、左折をする。右側優先なので、右から出てくる車は左を見ないで、rotondaにさっと入ってくる。rotondaに入ったら、次はどこかで右折するだけである。つまりrotondaでは左折はない。左へ曲がるのも、右から大きく回り込んで反対側から右に曲がることになる。車は止まることなく、スムーズに流れていく。尚、大きなrotondaには、信号があることがある。パリの凱旋門は巨大なロータリーだ。うまく運転しないと、右側によれず、ロータリーを何周もするハメになる。日本では、全く車が通ってもいないのに赤信号で待たされる信号が多いが、そこで止められるたびにrotondaが懐かしい。もっと採用すれば良いのにと思うのは私だけ??

55.cacciavite(カッチャヴィーテ):ねじ回し(ドライバー)のこと。cacciareは捕獲する、猟するの意。viteはネジである。つまり、これは、日本語のねじ+回しのような造語の道具で、発想が同じだ。aprire(開ける)を使った言葉には、apribottiglie(栓抜き=開ける+ビン))や、缶切のapriscatoleがある。tagliare(切る)では、ペンチ(または針金切り)のtagliaferro(切る+鉄)、ペーパーナイフ(紙切り)はtagliacarte(切る+紙)、爪きりのtagliaunghieがある。unghiaは爪。stuzzicare(つつく)を使って、stuzzicadenti(スツッティカデンティ=つつく+歯)といってユーモラスな音は、つまようじだ。schiacciare(押しつぶす)を使って、schiaccianoci(くるみ割り)、noceはくるみ。schiacciamosche(はえ叩き)moscaはハエ。asciugare(乾かす)で、asciugamano(タオル=手ぬぐい)、asciugacapelli(ドライヤー)など。尚、歯ブラシ(歯+brush)は純日本語でどういうのか知らぬが、これはspazzolino(小さいブラシ)といい、歯+磨くとは言わない。48で述べたportare+名詞、17のattaccare(掛ける、付ける)+panni(衣類)も同じ種類の造語だと言える。アッ、大事なものを忘れていました。cavatappi(カーバタッピ) cavareは引き抜く、tappoはコルク栓(tappoはコルク栓に限らず一般のふたのことですが)。そうです、これはワインオープナーのことです。イタリアでは重要ですから、忘れないようにしましょう。

56.paparazzo(パパラッツォ)、pappagallo(パッパガッロ):特にこのふたつは関連はないが、パパという音が珍しいので上げておく、paparazzoはパパラッチのことで、芸能人を追いかけるフリーカメラマンのことを言う。もともとは、映画「甘い生活」の登場するカメラマンの名前から来たもの。pappagalloのgalloは雄鶏のことである。で、pappagalloはオウムの事を言う。人の真似をすることも指す。pappaとは、おかゆのような流動食をさすが、この言葉とは関係がなさそうだ。モーツアルトの歌曲「魔笛」にパパギーノ(またはパパゲーノ)とパパギーナ(パパゲーナ)という、鳥刺しが出てくるが、これはpappagalloから取ったものだと思われる。鳥刺しとは鳥を取って飼育したり売ったりするもののことを言うようだが、大体オペラでは鳥の羽をつけており、鳥そのものに見えるので、本当に鳥刺しなのか疑問だが。

57.fidanzato(フィダンザート):女性はfidanzataである。辞書を引くと、婚約者と書いてある。また fidanzareは婚約させる、fiddanzarsiは婚約するという動詞である。しかし、この名詞に関しては、ボーイフレンド、ガールフレンド、恋人の意味で、婚約者という意味は殆どない。イタリア人同士が使っているとしたら、まず婚約者の意味はないと思って良い。では、婚約者はなんというのか?古い言い方に promesso sposo(promessa sposa)という言い方がある。Alessandro Manzoniの代表作”I Promessi Sposi"でご存知の方も多いだろうが、この言葉は現在では使われないが、意味は「婚約者」である。つまり、これは男女の関係が婚約を前提に、変るような古い考え(?かどうか疑問も残りますが)がすたれていることを表わしているように思う。一般に、男女がそれぞれの恋人を紹介するときに、この言葉を使う。また、la mia ragazza とか il mio ragazzo という言い方もガールフレンド、ボーイフレンドという言い方で用いるが、これは本人がいないときに使うようだ。本人がいるときに、Lei e` la mia ragazza. などと言うと、後で一悶着起きるかも知れない。尚、sposo sposaは花婿、花嫁のことである。

58.matrimoniale(マトリモニアーレ):結婚に関しての言葉をもうひとつ。matrimonialeは結婚の、夫婦のと言う意味の形容詞です。matrimonioは結婚、または結婚式のこと。ホテルに泊まる時に、ダブルベッドの部屋を要求するなら、camera matrimonialeという。ダブルベットそのものは、letto matrimonialeです。一方ツインルームは、camera doppia とか、camera a due lettiといい、一般にダブルルームというのは、ツインルームとなるので、間違えないように。ついでに、新婚旅行のことは luna di mieleという。これは、英語に訳すとそのままハネムーン(=蜜月)である。新婚ほやほやのことも、essere in luna di miele という。

59.seno : 格調高いコラム(そうでもないか?)の品を少し下げることになるかも知れないがお許し願いたい。senoは45項で説明済みだが、胸のことである。この発音は、日本人が一斉に何かをするときに発するあの、「セーノ!」という言葉と同じなので、日本人はあちこちで「オッパーイ」と叫んでいるんだと、実はTwitterにあった。これはなかなか面白い発見で、私も感心したが、じつは同じ様なことがイタリア語にもあるではないか! それは、「カンパーイ」というときにイタリア語で、「CinCin」(チンチン)ということだ。かなりのイタリア人はこのことを知っていて、日本女性の前では、この言葉を使うのを遠慮する。返って、日本人女性の方がどうどうとこの言葉を発することが多いようだ。まあ、子供用語ですからね。さて、Cin Cinとは、中国語の請請(chingching)から来たものだというが、一説にはイタリアのCinzanoのコマーシャルで Cin Cin Cinzanoという言い方をして広まったともいう。尚、乾杯のもっとも一般的な言い方はSalute!であろう。fare un brindisi は乾杯をするという意味。

60.husky, montgomery, barbour : これらはイタリア語ではない。しかし、ある種の衣料品をこのように呼ぶので、これは知っておいて損はありません。 husky(ハスキー)とは、薄いキルトジャケットのことで、イタリアでは少し寒いときに、上着の上に着るものとして定番。montgomery(モンゴメリー)とは、ダッフルコートのこと。なぜ、Montgomeryというのか、これは第2次世界大戦で、連合軍を率いてシチリアに上陸したイギリスの将軍の名前を取っているそうだ。イタリアに上陸した時にダッフルコートを着ていたのかどうかは定かではない。日本では、マッカーサー元帥が有名だが、イタリアはモンゴメリー将軍ということだ。Barbour(バルボア)とはイギリスのブランド名だと思うが、油性コーティングしたコートのこと。他に、Lodenは、ローデンという生地を使ったコートのこと(オーストリア、スイスなどの山岳地帯でよく着られるコート)。golfは、セーターの事を指す。felpaは、裏毛のことを言うが、一般に知られている言葉としては、フリースのことを指す。また、impermeabileは防水コートのことだが、日本で一般にコートと呼ぶトレンチ(綿製やポリエステル製のもの)コートは、ipermeabileといい、コートのイタリア語であるcappottoは、オーバーコート(ウール中心の厚手のもの)にしか使わない。fuseaux(フゾー)やfoulard(フラー)はもともとフランス語だと思うが、fuseauxはスパッツ(伸び縮みのするパンツ)、foulardはスカーフのことです。

61. cambio (カンビオ):cambioとは、交換の意味。空港や駅の両替所には、cambioと書いてあるので、これは両替の意味もある。一般には、このような意味で使われることが多い言葉ですが、ここではもうひとつの意味を加える。それは、変速機、つまり車のギア、トランスミッションのことを言う。cambio automaticoがオート、cambio manualeがマニュアルである。そして、ポイントはイタリアではcambio automaticoはわずかしかないということ。レンタカーを借りるときに、オートを要求したらなかなか見つからないかも。理由は、色々言われるが、私は基本的にイタリア人は運転が好きで、車をいじることが好きなので、オートでは満足しないからだと思っている。実際のデータはないが、15年ほど前でも1%あるかどうかといわれておった記憶がありますが、今でも5%は越えていないと思われる。オートは体に障害がある人が乗るものだと思われているフシもあるくらい。イタリアへ行って、会話に不足しないようにするなら、サッカーともうひとつはF1の話題を持ち出せばよい、とは私の意見だが、F1を初め車についての話は皆大好きな国民を考えると、やはりオートマチック車に変わることは、まだ当面なさそうな気がする。

62.fazzoletto(ファッゾレット):これはハンカチの意味である。ハンカチは、handkerchiefという英語からきたものだが、これはhandとchiefはchiffion(シフォン)あたりからきたものだろうか。手に持つ柔らかい布地という意味なのだろうか。英語はさておき、イタリア語でfazzolettoという言葉を使うときには注意がいる。イタリアには、ハンカチはない。誰もハンカチなどもっていない。特に男性においては皆無である。fazzol-ettoの"etto"は、小さいものを表わす。etichetta(エチケット)はetica(道徳)から出て、小さな道徳の意味、pacchetto(パケット)はpacco(箱、包み)から出て、小包のこと(パケット通信のパケットも、小さい箱のこと)など、多くの外来語にも通じる。従い、fazzolettoはfazzolo(ネクタイ用生地)の縮小辞である。つまり、恐らくこれは、ネクタイの余った生地のことを指していたものと思われる。従い、余り生地だから、はながみ代わりに、しかも柄が入っているので女性がおしゃれに使っていたのだろう。イタリアではfazzolettoは、はながみ代わりに使う切れ端のことである。日本でいうティッシュなども、fazzoletto da carta (紙製のハナ拭き布)ということになる。日本のハンカチメーカーの規定によれば、ハンカチとスカーフの境は、一遍の長さにあるようだ。定かではないが、60cmあたりが境になったように記憶している。つまり、日本では大きさだけで分けられており、用途は関係ない。実際に、高価な刺繍やプリント入りのハンカチも多く、ハナをかむどころか額縁に入れて飾るためのものもある。fazzolettoといって思い出すのは、Comoのプリントメーカーとハンカチの話をしていたときに、そこのオーナー(実は高名なテキスタイルデザイナーでもあるが)が、Otelloを思い出すといったこと。そういえば、VerdiのOpera”Otello"の重要な小道具が、ハンカチだ。

63.casino`(カジノ)とcasino(カジーノ):最初のほうは、ノにアクセントがあり、カジノと読む。この意味は、ギャンブルをする場所、カジノのこと。後方は、casaに縮小辞のinoをつけた、言葉で集会所や小屋のことをいう。小さい家は、casinoといわないで、casinaと女性形をとる。さて、casino(カジーノ)の方は、もっと別の意味があって、こちらはイタリアでは常に耳にするが、Che casino!というように使われます。casinoは俗語で、混乱のことをいい、Che casino!は、「なんとまあ!」という驚きの言葉。道が渋滞しているような状態のときに必ず発せられる言葉である。例えば、空港や駅からタクシーに乗って、道が渋滞にあったとすると、タクシーの運転手はまず間違いなく、この言葉を発しますから、一度試してみてください。さて、アクセント位置で意味が全く変ってしまうもので、もうひとつ代表的なものは、papa(パーパ) とpapa`(パパ)を上げておきます。前者は、ローマ法王、後者はパパです。

64.grandine(グランディネ):イタリアの北部では、日本ではめったにあり得ない自然現象がある。そのひとつは、grandine これは雹(ヒョウ)のこと。雹が降るときは、とてつもない大雨になる。どれくらいかというと、道路を車で走っていて、ワイパーを最高に速くしても前が見えないほど。従い、大概雹が降るような大雨だと車は止まる。それは勿論、車を守るためもある。何故なら、私の経験した雹は、直径が3~4cmほどのもので、車はでこぼこになる。とにかく大量の雹に当たるので、きれいにできぼこになる。つまり、全体が同じようにでこぼこになりますから、そんなデザインだと勘違いするかも知れないくらい。これは板金屋に持っていくしかない。きれいに直してくれました。高速道路で、大雨が来て雹が降りそうになると、橋の下に車が止まります。勿論先に止めた車が橋の真下に止めるが、その後どんどん回りに止めてきて、橋の周りは車で一杯。しばらくは、動けません。夕立のような雨ですから、すぐに止みます。もうひとつは、nebbia(ネッビア)です。これは、霧。ロンドンは霧で有名ですが、北部イタリアの霧は、もっと凄いとも言われます。ミラノの空港は冬に霧でよく閉鎖され、そのたびにBelgamo,Genovaなどの空港で降ろされます。この霧がどれくらい凄いかというと、少なくとも東京近辺では予測が出来ないでしょう。ひどいときはせいぜい5~10mしか視界がない。北イタリアの高速道路で霧が発生したら?通行止め?それは、事故が起こらない限りない。高速で霧が発生しても、車は時速100km以上でぶんぶん走っています。私も最初は驚いて、次第にそれに慣れた1人。それは、前も横も見えないときが一番怖いが、少なくとも前の車のテールランプが見えたら、その後を付いていけば良いということに気付いたから。スピードを落とすと追突されるから。それと走っていて気付くが、イタリアの高速は基本的にまっすぐだから、霧が出ても真っ直ぐ進めばよいという道理。怖いのは、高速を降りるとき。まず、案内板が霧の為に見えないので、予測してスピードを落とさねばならないこと(追突される恐怖)。そして、高速から一般道路に出るときにもし、対向車線を越えなければならないとき。全く見えませんから、エイヤーと渡るしかありません。尚、霧が濃いというときは、fittoという形容詞を使います。濃い霧は、nebbia fitta.

65.bottarga(ボッタルガ):なんだかぼったくられそうだが、これは「カラスミ」の意味。カラスミとは、ボラなどの卵巣を塩漬けし、天日干しで乾燥させたものをいう。珍味で結構高いので、日本ではあまりお目にかかったことがなかったが、大分前に台湾で沢山見かけてから少し気にするようになった。イタリアでも、高級品だが製造されており、Spaghetti alla bottargaとして食することが出来る。イタリアで有名な産地は、サルデニィア島のOristanorというとてもきれいな漁港である。なお、Spaghetti al nero di seppia というと、これはイカ墨のスパゲッティである。イカ墨とカラスミなので間違えないように。尚、築地の場外市場でも、カラスミを沢山売っているのを見かけたことがある。みたところ、明太子と大して変らないので、間違えそうだが、こちらはスケソウダラの卵巣だそうだ。そして、明太子はイタリア語では、mentaikoと日本語をそのまま使っており、mentaiko piccante が辛子明太子となる。

66.tifone(ティフォーネ)とuragano(ウラガーノ):tifoneは台風のことである。台風とは、太平洋や南シナ海に発生する熱帯低気圧で、ある一定の風速のものをいうそうだが、イタリア語では台風とハリケーンなどの違いはなく、全てtifoneと呼ぶ。ハリケーンにはuraganoというイタリア語があるにはあるのだが、あまり区別されて使われてはいない。また、インド洋や太平洋南部で発生したものをサイクロンと呼び、発生場所によって呼び名が変るということで、日本ではその地域の呼び名に従っているが、イタリアではこの3者はどこでも適当に使っているようだ。OZの魔法使いの英語版では、ドロシーが吹き飛ばされるものをCycloneと呼んでおり、そのイタリア語版(Il Mago di OZ)でも、これにならって避難する部屋を"cantina del ciclone"と呼んでいるので、西洋社会ではあまり厳密に区別はしていないようだ。さて、自然の猛威のひとつに、竜巻があるが、これはイタリア語では tromba d'aria という。直訳すれば、空中のトランペット。tornadoという言葉もあるが、これは外来語で、発音はトルナードと読むが、イタリア語ではない。また、海の上で発生する竜巻は、tromba marinaという。逆に海の中に渦巻く、渦巻きをなんというか? これは、mulinelloという。

67.Giappone(ジャッポーネ):これは、無論日本のことである。日本とイタリアとの何らかの関わりを辿ると古くは、Marco Poloに行き着く。彼が書いたとされる東方見聞録によれば、13世紀の日本であるが、黄金の国ジパングと呼ばれていたとある。黄金は平泉の中尊寺金色堂のことや、後に中国との貿易決済に金を使っていたからだとか諸説あるが、いずれにしろMarco Polo自身は日本には来ておらず、伝え聞いた話のようだ。このジパングであるが、この最後のグ音がどこから来たのか分からないが、一説にはジパングというのは中国が当時日本をそういう音で呼んでいたという説がある。しかし、日本は現在の中国語でも、ri-benとピンインで書き、この音は「リーベン」と言うよりも、人によって(特に巻き舌の強い人なら)「ジーベン」に聞こえる。また、Marco Poloが中国に行ったとされる時代は、元の時代でフビライ(クビライ)ハンが、中国を治めている。つまり、今のモンゴルである。彼らが日本の事を、ジーベンではなく、ジーパン若しくはジーパングと発音していたにしても不思議はない。何れにしろ、これがJapanの原形であり、Giapponeのまた原形であることは間違いがない。Marco Poloはフランス語も話せたそうだし、実際に東方見聞録が出版されたのは、彼の死後1世紀以上も経ってからで、それもフランス語で出版されたとある。それならば、ジーベンがジャポンになったとて、これもあり得る。これは、何れにしろその当時日本のことを、既に日本と呼んでいたことの証明としては面白いと思っている。また、Marco PoloはVeneziaの人とされており、13世紀にはイタリア語は統一されておらず、当時日本のことをGiapponeと呼んでいたかどうかは疑わしい。Veneto地方は、語尾を切ることが多く、人の名前で「~ン」とあると(例:Girardin, Zambon, Beneton)、まずVenetoの人である(他のイタリア人の名前は、母音で終わる)。また、外国語学校で有名な ca' foscari のように(ca'=casaを省略)音を短くする。従い、Veneziaでは当初ジーポンまたはジャポンと呼ばれ、のちにGiapponeとなったことも想像はつく。以上gipponeの由来に関する、私の「想像」である。尚、日本のと言う意味で、nipponicoという形容詞も使われます。

68.pepe(ペペ):好きか嫌いかは個人差があるとして、私はイタリアの調味料は好きだ。4つしかない。sale(塩)、olio(オリーブオイル)、aceto(酢)そしてpepe(胡椒). 食卓にはこれしか置いていない。例えば、朝食でpaneまたはpaninoを食べるときに、日本人であればバターかジャムが欲しいところだが、イタリアにはない(アメリカ式のホテルは朝食がアメリカ式ゆえ、バタージャムはアメリカンコーヒーと共にあります)。至ってシンプルである。イタリアの固いpaneに慣れると確かにバターはいらない。これは、少し塩気があってそのままでも食べられる。いや恐らく、そのまま食べることを目的に作られたのであろう。柔らかいパンばかし食べている日本人には信じ難いことだが、paneは硬ければ硬いほど良いとも言う。(ただしそれは外側のことで、中はあまり硬くない方が宜しい)。昼食や夕食にサラダが出ても、調味料はこの4つだけだ。魚も、肉もこれだけ。saleはシチリアの岩塩、olioやacetoは、vergineやbalsamicoなどと、新鮮さ、濃さ、芳香性などで凝っている。condireとは、味付けすることを言うが、insalata condita といっても、大体 saleとolio、またはacetoでconditaされている。最近は、日本人旅行客に合わせてsalsa di soia(しょうゆ)を置いてあるところも多い。また、tabascoは、本来イタリアの調味料ではないので、普通は置いてない。 pepeに大きいを意味するoneをつけると、peperoneだが、これはピーマンのこと。逆にpeperoncinoといえば、唐辛子のこととなる。

69.camoscio(カモッショ): イタリアの皮手袋屋さんへ行くと、色々な動物の皮があるが、良く聞くのにcamoscioがある。とにかく柔らかくて、皮の質が良いと店員はこの皮をさすって薦める。最初はこれがなんのことか分からなかった。鹿の種類だという気はしたが、鹿はcervoと言うので、どうも違う。色々聞いているうちに、これはひょっとしたら、その発音からカモシカのことではないかと勝手に決めてしまった。実は本当にこれがカモシカのことかどうか自信は全くなかったのだが、大分たってから念のために辞書を引いてみたら、カモシカとあったので驚いた記憶がある。日本語の原点は知らないが、鹿はともかくも、カモは、イタリア語から来たのではないのかと思ってしまっている。尚、イタリア語でmatterhorn(マッターホルン山4478m)のことを、Cervinoというが、これは「鹿の角」という意味である(ちなみに、ドイツ語のmatterは牧草地という意味だそうで、鹿の角とは関係がなさそう)。また、Cerivinoがすぐそばに見えるスキーリゾートの事を、Cerviniaという。ここはマッターホルンからスイス側に降りると有名なZermatt(ツェルマット)、イタリア語に降りるとこのCerviniaとなる。両方から、上っていけば同じところで会うはずなので、標高3500m程の尾根を越えて、スキーをはいたままスイス側に行くことも出来る(筈である=誰か試してみて下さい。雄大ですよ。私は両方から尾根までは行きましたが、国境を越えるまでは行かなかったので)。

70.Gennaio,Febbraio: イタリア語を勉強したかたは、sette-mbre、otto-bre、nove-mbre、dice-mbreが夫々、7-8-9-10を表わすのにも拘わらず、9月ー10月ー11月ー12月と2ケ月ずれた月を表わすということに気付いていますね。これは、昔のローマ暦では、1年が10ケ月しかなく(304日)しかも年の始まりが現在の3月からだったことに由来するといわれています。そして、現在の7月、8月ももともとは夫々第5の月、第6の月(3月から始まって)と呼ばれていたんだそうですが、LuglioとAgostoという名前に、ローマ帝国初代皇帝のAugustoのときに変えられました。LugioはGiulio Cesare(英語読みのシーザー)、Agostoは自分の名前です。そして、1年も12ケ月に変えられました。何故1年が10ケ月304日で回っていたのか不思議に思いますね。当時は冬は、寒いので、単に「冬」と言っていただけかどうか分かりませんが、月としてカウントしてなかったようです。そして、1年が365日では合わないということも薄々感じていたようで、冬の長さ(従い61日または62日)を4年に一度調整していたようですね。12ヶ月に変更した時に、最初の月をgennaioと名づけました。これはローマ神話のGianoという神の名で、ドア(入り口)の神様です。1月は1年の入り口だということで、この名前をつけたそうです。2月はfebbraio、これはラテン語のfebruareから来ています。この意味は、魂を清める、慰霊する、贖罪する月と言う意味です。もともと3月から1年が始まることになっていましたから、その前に全てを贖罪し新しい年に入ると言う意味だったのでしょう。日本の除夜の鐘(108の煩悩を年の最後に清める)と似ていますね。そして、何故2月が28日だったり29日だったりするかもこれで分かります。1年の最後の月なので、この月で調整しようとしていたのです。ここまで書くとMarzo~Giugnoもどういう意味か気になりますね。興味ある方は調べてみて下さい。

71.蕎麦:ソバは日本の食べ物ですから、何故イタリア語の話に「ソバ」が出てくるのか? Spaghettiはイタリアの料理ですが、これも一説には、マルコポーロが中国から麺類を伝えたという話もあります。Spaghettiの原料は、うどんや素麺と同じ小麦粉ですから、元は大して変らないようですが、小麦粉にもいろいろ合って、セモリナ(semolina)種から作ったものだけが、イタリアではパスタと認定されるそうです。セモリナ種も地方や州によって色々特徴があるのでしょうが、大体私が行ったところでは、どこでも自分のところのsemolinaが最高だと言ってました。ちなみに、”私の個人的な感想ですが”、世界で食べ物が自分の国及び自分が生まれ育ったところが一番おいしいと思っているのは、イタリア人と中国人です。そして、海外へ行ってもイタリア料理と中国料理しか食べないのも、この2カ国民です。しかし、日本にも、自分の故郷のラーメンが絶対一番おいしいとか、言い張る人もいますので、それを思うとどこでも同じかもしれません。以上個人的な感想でした。さて、ソバに話を戻します。イタリア語ではソバ粉のことを、grano saraceno(グラーノ サラチェーノ)またはfarina di grano saracenoといいます。意味は、サラセンの小麦です。ここにくるまで大分遠回りをしてしまいました。日本では更科(サラシナ)ソバと言いますが、イタリアではサラチェーノという、ちょっと似ていると、それだけの話です。なお、イタリアではサラチェーノを使ってソバは作りません。饅頭のようなものを作ったり、丸めて煮込んだりします。

72.pista(ピスタ):日本では、外来語を使うことが多くその競技によって、使い分けしているものが[走路」である。例えば、スキーならゲレンデ、陸上競技ならトラック(またはレーストラック)、その他コースとかレーンとか、滑走路など、これらを総称してイタリア語ではpistaという。自転車競技やF1(Formura Uno)のサーキットもpistaで通じる(circuitoチルクイートと言う言葉もある)。F1は日本にもファンはいるが、イタリアではサッカーと同じと言っても良い位人気があるので、多少情報を仕入れておけば会話は弾むはずである。イタリアにはFerrariがあり、各国とも自国を代表する車を出しているので、これは国と国の争いで、盛り上がるのだ。日本は、昔Hondaが日本を代表する車で、Ayrton SennaがHondaのドライバーで活躍していた頃が、隆盛期だったのだろう。Sennaが事故で亡くなったのが、1994年で私は多分その1年ほど前頃にMonzaで彼のレースを見たことが印象に残っている。その時にSennaは1~2週でリタイアした。同時にリタイアしたのが、Sennaと接触したミハエル(Michael)シューマッハである。シューマッハはまだ無名で、若々しかった。レースのまだ途中だったが、観客席から見ているとSennaがシューマッハを呼んで、pistaの接触した場所近くに歩いて行き、何か話をしていた。シューマッハが、素直に聞いていたような感じだったことを覚えている。恐らく当時の王者セナが新進気鋭のシューマッハにルールを教えて諭していたのではないかと思っている。シューマッハは、その後ご存知のように無敵の王者となり、F1史上最大の優勝回数を誇っている。F1ファンじゃないとなじみは薄いかもしれないが、セナの後にナイジェル・マンセルというイギリス人のドライバーがいた。彼の速かったことは、良く記憶している。彼の時代は短く1年くらいだったと思うが、私は韋駄天マンセルと呼んでいたくらい、敵無しであった。彼の年間タイトルはその一年だけで、確かアメリカのレースに移籍したと思う。それから彼の名前は聞かなくなった。

73.colpocorpo:日本人には聞き取るのは至難の業だが、lかrかとっさに判断が難しいものがある。colpoは、「打撃」の意味で、47に上げているcolpo della strega(=魔女の一撃=ぎっくり腰)のように使う。colpo di testa(頭突き、サッカーのへディング)、colpo basso(ボクシングのローブロー)、di un colpo(一息に、一撃で)など。colpo di testaで思い出すのは、前項に続いて歴史の証人みたいで恐縮だが、キングカズこと三浦選手がイタリアのGenovaに入団し、シーズン最初の試合はミラノのSan SiroスタジアムでのAC Milanとの開幕戦で、私はたまたま見に行っていた。開始早々、三浦選手はボールをcolpo di testa(ヘディング)しようと、飛び上がり同じく飛び上がったAC Milanの伝説的リベロのFranco Baresi選手と、colpo di testa(頭突き)をしてしまった。三浦選手は倒れ起き上がれず、そのまま退場し、確かこのシーズン2~3ケ月をフイにしたと記憶している。一方Baresi選手はなんともなかった。あの石頭(これはtesta dura=頑固者の意味もあるのは日本語と同じ)! 実はBaresi選手とは何度か町で遭遇したことがあり、そのうち一度はミラノ日本領事館のエレベータの中だ。私はピンとくるモノがあって、彼に日本へ行くのか(移籍)聞いたところ、「そうであればいいな」というような、どちらとも取れるような返事をしてきた。その後当時の総領事の方に、彼が何をしに来たのか聞いてみたところ、「ワインだかシャンペンだかを飲みに来ただけだ」と、はぐらかされたので、ますます怪しいと思った思い出がある。結局彼の日本行きはなかったのだが。ただ、MassaroというACミランにいた選手が、清水エスパルスに移籍したことがあるが、日本の新聞で発表する数日前に、彼に空港であったという息子から彼がそういっていたという話を聞いていた。彼らは、かなりきさくで、何でもしゃべるわけではないだろうが、話はしてくれる。また、大体ファーストネームで呼んで問題ない。日本だと、普段には松井とか呼び捨てにしていても、直接には~さんづけで話すのとは、ちょっと違う。どちらが良いかどうかの問題ではなく、文化の違いだと思っている。さて、この項ではもうひとつ、corpoの事を書こうと思ったが、前置きが長くなったので簡単に。corpoは体、肉体のことで、ほかには死体や軍隊の意味もある。こちらも良く使われる単語である。昔、colpo grossoというテレビ番組があって、耳で聞いただけではlとrの区別がつかないので、大きな一撃なのか、大きな体なのか悩んでいた。番組はイタリアではよくある、美しい女性が沢山出てきて、かなり艶かしいものなので、衝撃が強いのでcolpoか、グラマーな肉体のcorpoかと。結論は先に書いたとおりである。

74.sottovuoto(ソットブオート):sottoは「下」の意味です。前置詞や副詞、たまには形容詞としての役目がある。sottoがついていて、覚えていれば便利な言葉は多い。 sottoveste(下着)、sottoscritto(署名者:申請書、宣誓書などによく使う)、sotterraneo(地下の、strada sotterranea=地下道=sottoviaでも良い)、sottovoce(低い声で)などは、良く使うことばであろう。そして、紹介したいのは、sottovuoto(真空の)である。直訳すると、「下が空(カラ)」、でなぜこれが真空なのかは分からないが、vuotoという言葉自体に真空(名詞)の意味があるようだ。主に、生ものを買った後すぐにそれを消費しない場合、若しくは人に上げたり、遠くへ運ぶ場合には、真空パックをお店で頼めば、大きなお店ならやってくれる。confezione sottovuotoといえば大丈夫である。日本や海外の検疫(quarantena)基準に引っかからないのであれば、この形で生ハムや新鮮なチーズを土産に買ってくることも十分に出来ます。試して御覧なさい(但し、検疫基準については、良く調べておいて下さいね)

75.braccio di ferro:braccioは腕、ferroは鉄、鉄の腕=腕相撲のことをいう。鉄の事を元素記号ではFeというが、これはFerroから来ている。鉄は強い意味を持つので、stomaco di ferro 頑丈な胃袋のようにも使う(stomaco di bronzo(青銅)という言い方もあるが)。鉄道はferro+viaでferroviaという。地下鉄は、前述のsottoを使って、ferrovia sotterraneaである。一方bronzoは、厚かましいという意味がある。日本語では厚かましい人を「鉄面皮」というが、それは、faccdia di bronzo「青銅面」という。金属のことで思い出すのは、1939年に締結された伊独同盟。この後、1940年には日独伊三国軍事同盟が結ばれ、第二次世界大戦に入っていくのだが、この伊独同盟のことを”Patto d'acciaio"という。acciaioとは、鋼鉄=スチールのことで、勿論これは鉄よりも硬い(絆で結ばれる)同盟との意味であったのだろうが、名前だけだったようだ。「外交」を象徴するような名づけ方だなと思わされる。尚、金属には冷たい意味もあり、occhio d'acciaio (鋼鉄の目)と言えば、冷徹な(冷たい)目(視線)の意。

76.portoghese, turco, indiano:左からそれぞれポルトガル人、トルコ人、インド人のことだが、それを説明する為に書いたのではない。まず、portogheseは、無賃乗車の人または切符を買わずに劇場などに入場する人を言い、"fare il portoghese"が、その行為をすることを指す。turcoは、次のように使って、とても沢山タバコを吸うことをいう。"fumare come un turco" トルコでは一時タバコが禁止されていて、解除になった後に、皆がとてもタバコを沢山吸っていたのを見たイタリア人がそう呼び始めたともいう。indianoは、次のように使う。”fare l'indiano"、そして意味は「知らないフリをする」である。これは何故か?indianoは多分、アメリカインディアンのことのようだ。アメリカに上陸した、ヨーロッパからの移民は彼らとの話が通じない。分かっていても、知らないフリをしたという風に捕らえたかもしれない。真実はそれ程明快ではないが、特にfare il portogheseなどは、失礼な話だと国から文句が出そうな表現でもある。また、venezianoは、ベネツィア人のことだが、「ケチ」と言う意味もある。これは、ベネツィア共和国は商業国家であって、商売人が多かった。商売に関しては、「ケチ」を貫くことから、この表現が残った。シェークスピアの「ベニスの商人」でも、ベネツィア共和国の商人が書かれているので、雰囲気は分かりますね。最後にこれも失礼な言い方だが、イタリアでは聞くことがあるかもしれない。marocchinoはモロッコ人のことだが、路上で物を売っている特にアフリカ人のことを、このようにいう。これは別にモロッコ人に限らないが、総称してそういっている。良い言葉ではないので、使うことは控えたい。

77.altobasso :altoは高い、bassoは低いである。 背が高い低いは、この形容詞を使う。 voce alta, voce bassaは高い声、低い声だが、音程が高いという意味とともに、声が大きいという意味で使う。 l'alta Italiaといえば、北イタリアを指す。alta modaはハイファッション。布地の幅のことは、altezza(altoの名詞を使う)。従い、生地がaltoといえば、生地幅がひろいこと、本がaltoなら分厚いという意味である。イタリアの昔の町は、主に山の上に都市を作る。ミラノはpianura padana(ポー平原)というイタリア最大の平野の中にあるので、平地に町があるが、ローマも古代ローマは、Palatinoの丘という、ローマの中の丘の上に町を作った。Umbria州や、Abruzzo州は、小高い丘が沢山あるが、昔の町は皆丘の上に作られている。日本は、農耕民族だからだと思うが、町は平野に作る。敵が攻めてきても守れるように、平地に城を建てるのが普通だ。イタリアが町を山や丘の上に作るのは、狩猟民族であることと、外敵からの侵入に備えるためかと思っていたが、実はそうでもないらしい。町を丘の上に作ったのは、マラリア対策だそうである。マラリアをもたらす蚊は、平地の湿った場所に発生する。尚、Malariaは、Malo(悪い)+aria(空気、場所)の意味で、湿った場所の悪い空気のせいで熱が出ると思われていたようだ。従い、イタリアの町には、Citta` alta と呼ばれる場所があり、それは古い町(旧市街=citta` vecchia)のことである。新しい町は、住宅地や工場、商店街など平野の方に広がっており、こちらはCitta` bassa(平地の市街)であり、citta` nuovaになる。Lombardia州でも、Belgamoへ行けば、Alta,bassaの町があり、Abruzzo州だと、Chietiなどではこのように分かれているのに出会った。尚、音楽用語でも alto と bassoは使われている。bassoはバスの事で「低い」ということで分かるが、altoは女性の声で一番低い音である。つまり、女性の声は一番低い音でも「高い」ということが、ここで認識できた。

78.marcantonio(マルカントーニオ):長い単語だなと思われるかも知れません。これは、「背が高くカッコいい男」と言う意味です。この名詞は、ローマ時代の政治家、軍人であるMarco Antonioから取られています。Antonioは日本ではアントニウスとして知られていますが、シェークスピアの戯曲「クレオパトラとアントニー」でも有名です。Antonioは、クレオパトラの魅力に引かれ、ローマに残した妻と離婚して、エジプトでクレオパトラと一緒になったといわれます。「背が高くかっこいい」「イケメン」のような代名詞で呼ばれるからには、当時を代表するようなスマートな男かと思われますが、キケロが彼を評して、「肉体が頑丈なだけが取り柄の無教養人で、酒に酔いしれ下品な娼婦と馬鹿騒ぎするしか能のない、剣闘士並みの男」と言っていたり、クレオパトラと一緒になった後はローマ市民からは、「エジプト女に骨抜きにされ、ローマ人の自覚を失った男」と言われている、などの言い伝えがあり、どうもあまり評判は芳しくないようです。従い、marcantonioという意味は、揶揄的に「かっこいい(だけ)」というニュアンスがあるのだろうと思われます。同じように、人の名前が、単語になったものに"casanova"があります。これは、Don Juan(イタリア語はDon Giovanni)の代表と言われる男の名前からとったもので、意味は勿論「女たらし」です。

 

79.Cicerone : 前項でキケロを登場させたので、彼を使った単語もひとつ。キケロはイタリア語では、Cicerone(チチェローネ)といいますが、彼はローマ時代の雄弁家として有名です(ラテン語名はCicero)。色々な本を残していますが、要は話がうまくて、白も黒と言いくるめるような話術の持ち主だったのではないでしょうか。このことから、fare da cicerone という表現が、ガイドをするという意味で使われます。直訳すると「キケロをする」ということですが、ガイドとは大変雄弁なので、このように言います。尚、カエサルから帝政ローマ誕生までの歴史は、カエサルーキケローアントニウスーオクタビアヌス(後のアウグストス)の絡み合いを覚えていると、分かりやすいので、簡単に書くと、カエサル(シーザー)は死ぬ前にオクタビアヌスを自分の後継者として指名しています。シーザー暗殺後、キケロはオクタビアヌスを擁護して、弁舌により元老院や市民の支持を得、アントニウスを牽制します。しかし、アントニウスはオクタビアヌスと結んで、三頭政治を実施、キケロはアントニウスに殺害されます。そし次第に、オクタビアヌスが勢力を加えて行き、三頭政治の支配下取り決めでアントニウスはエジプトへ行きます。プトレマイオス朝の王女クレオパトラは、もともとカエサルの愛人(子供が1人いる:カエサリオン)でしたが、政略でアントニウスと結婚します(アントニウスとの間には子供3人)。アントニウスが破れた後、クレオパトラはオクタビアヌスにも近寄ったが、オクタビアヌスに拒否され、自害したとも言われています。前項に上げたキケロのアントニウスに関する表現にもかなり辛らつなものがありますが、二人が政敵であったことを知れば納得出来ます。そして結局キケロはアントニウスに殺害されました。しかしアントニウスがオクタビアヌスとの闘いに破れ自害すると、キケロの息子は当時ローマの執政官であって、アントニウスへの復讐として、Markusの名前を一切使用することを禁じます。一方、その後ローマは一旦共和制を敷きますが、オクタビアヌスは、Augustusの称号を得、自ら帝政ローマ初代皇帝を名乗ります(尚、オクタビアヌスのイタリア語名は、Gaio Giulio Cesare Ottaviano Augustoという長い名前です)。Augustoが8月になり、彼の養父であるGiulio Cesareの名を7月としたのは、第70項に書いているとおりです。

 

80.candido(カンディード):これは、「純粋な」[真っ白な」」という意味です。これから、candidato(選挙の候補者)という単語が生まれました。それは、昔候補者は真っ白な服を着ていたからだそうです。candidareは「候補者を立てる」という動詞。また、candeggiareは「漂白をする」candeggioまたはcandeggiaturaが、染色における「さらし工程」の意味です。勿論英語のcandidate(候補者)もこれから来たものです。英語で、ドッキリカメラのこと(そういう番組のことですが)をcandid cameraと言いますが、candidはイタリア語のcandidoから出たものですから、本来は「正直な」「ありのままの」と言う意味ですが、段々「露骨な」「無遠慮な」というような意味にもなりました。イタリア語の方は、そこまで発展しておらず、まだ「無垢な、無邪気な」と言う意味に留まっているようです。候補者といえば、首相が日本は野田首相で明治以来62人目になりました(複数回の人は除く)。首相の任期が余りにも短いということで、世界からの批判や国債格下げの原因にもなっているようですが、イタリアも結構短いはずです、と思って、調べてみると、王政時代(1861年から第二次世界大戦終了まで)に30人、共和制になってから現Berlusconiの4次内閣(4回目)まで24人、合計54人でした。イタリアは一度やめて、他の人が首相に成り、その後に返り咲くということが多く、Andreottiは3回、Fanfaniに至ってはなんと5回も首相になっています。尚、投票は、votoと言いますが、これは学校の成績のことも言います。bei votiは(良い成績)です。candidatoになって、たくさんvotiを集めた人は、決して brutti voti(悪い成績)は上げないようにして欲しいと思いますね。





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