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忘れられないイタリア語の話 81-120

忘れられないイタリア語の話

  ここに書いているのは、イタリア語の単語を覚える時に、私がクラスで生徒さんに記憶にとどめて貰うために話す内容を文章化したものです。いわば講義のネタ本です。英語の単語にも元がラテン語のものが多いため、ラテン語の系統を最も受け継ぐイタリア語を知っていると自然に英語が分かります。そんなこともここで確認してみてください。


81.novello : 10項で縮小辞として-inoをご紹介しているが、-elloも縮小辞にあたる。nove-elloは nuovo(新しい)に縮小辞をつけて、「出来立ての」「生まれたばかりの」という形容詞になる。この縮小辞は他には、albero(木)→alberello(若い木)、vino→vinello(アルコール分の少ないワイン)、poverello(かわいそうな)などにみられる。novelloはフランス語のヌーボーにあたるもので、新酒としてはボージョレーヌーボーだけが日本で有名だが、イタリアではvino novelloといえば、ヌーボーワインのこと。秋になると、イタリアでもnovelloが出回って、レストランでは一杯振舞われたりするが、ヌーボーワインは熟成されていないので、沢山飲むのは体に良くないとのこと。収穫のお祝い事として、グラスに一杯だけ飲むのが良さそうだ。何のお祭りだったか忘れたが、ミラノで12月頃に開催されるお祭りでは、novelloがただで振舞われていた。運が良ければ、ただヌーボーに当たるかも知れませんね。

82.tramezzino :これは、イタリア語でサンドイッチのこと。tramezzo(仕切り)に-inoの縮小辞をつけたもの。この言葉は、イタリア人Gabriele D'Annunzioによって、発明されたものと言われる。D'Annunzioは詩人であり、右翼的な思想家として知られる人物で、三島由紀夫が大いに影響を受けた人と言われている。1919年に現クロアチア領のFiumeという都市を、黒シャツ隊を率いて占領し、そこをイタリア領にしようとしたが、それは出来ぬままここを独立国家として1年以上君臨した。Mussoliniにも多大な影響を与えている。彼はまた、外国語を使うことを嫌い、サンドイッチをtramezzinoに変えた。イタリアでのパンの呼称は、pane, panino,brioche, cornettoなどがある。paneは大きい塊のパンで、切って食べるもの(外側はかたい)、paninoはまる型の小さなパン、brioche(ブリオッシュと呼ぶ)は柔らかいクロワッサン型のパン、cornettoも角型(三ケ月型)のパンで、これもクロワッサンに似てはいるが、いずれもフランスのクロワッサンとはちょっと異なる。

83.coperto(コペルト):テーブルチャージまたはカバーチャージのことをcopertoという。日本語では「席料」と言うのだろうか。これは、通常はpane代の「ようなもの。paneとは、前出のパンの種類で、イタリアのPane は外側が硬い。人によっては外側が硬ければ硬いほど良いという人もいる。確かに、中がそんなに硬くなければ外はある程度硬いほうがイタリアのパンらしい。しかし、あまり硬いと口の中を切ってしまうので、程々が良い。これを輪切りか、もしくは半分にして2~3cmの厚さに切った物をテーブルの上においてあって、これがcopertoだと一般にはなっている。copertoは、その昔レストランには客が食べ物を持参で行っていたこともあり、その時に使用料を取っていたことに由来するとの説がある。その場所は、posto aperto(野外の、開けっ放しの場所)ではなく、posto coperto(屋根つきの場所)であった事による。しかし、copertoはcoprire(覆う)の過去分詞で、覆われたもの、つまりテーブルクロスの意味がある。普通のレストランだと、客が代るとテーブルクロスを必ず交換する。trattoriaだと、一度はたいて裏返しにして使うところもあるが、基本的には交換するものである。従いcopertoはテーブルクロスの洗濯代ではないかと思う。そう思えば、何故テーブルチャージを払うのかが納得できるのでのである。paneの食べ方だが、テーブルクロスがかかっているところは、自分の左脇において、ちぎって食べる。パンくずが落ちるのは気にしなくて良い。テーブルクロスは交換するのだから。中国での話だが、食事のときはテーブルクロスを目一杯汚して食べる。出来るだけ汚して食べる方が、おいしく食べたと言う意味だと聞いたことがある。本当かどうかは知らないが。テーブルの上を、鳥の骨や、魚の骨などで一杯にして、客が去ると、テーブルの上に乗った食べかすをテーブルクロスでぐるっと包んで、片付けるのが中国式。成るほどさっと片付くので便利だとは思う。尚、copertaと女性形にすれば、毛布や掛け布団の意味になる。

84.farfalla(ファルファッラ):この単語は結構知られているもので、敢えてここに載せる必要はないと思われるかも知れません。「蝶々」のことですから。ただ音としては、面白い部類に入るのではないかと思います。「蝶々」は、多分中国語から来たもの。ファルファッラは「蝶々」のようにおなじ物を2度並べていませんが、far-falとほぼおなじ物が続いて出てくるところから、何か共通点を感じます。farfallaには、「浮気者」の意味もあり、MozartのOpera ”Le nozze di Figaro(フィガロの結婚)”では、ケルビー二という若者が女性にもてて困ることで、彼を軍隊にやってしまうという画策が行われ、「もう飛ぶまい蝶々よ」という歌があります。これは、「恋する色男さん、これで浮気はおしまいね」と言う意味です。歌詞は、Non piu` andrai farfallone amoroso. となっており、farfallaには-oneがついて、「大浮気者(大色男)」となっています。

85.catalogo(カタローゴ):前項に続いてオペラからのイタリア語を。catalogoと聞いて、Don Giovanniを思い浮かべる人は、かなりなオペラ通でしょうね。catalogoは、勿論「カタログ、目録」のことですが、オペラ Don Giovannniの中にある通称「カタログの歌」は、Don Giovanniがそれまでに関係した、女性の目録です。しかも、この歌の締めくくりでは"Mille tre"(1003)と言いますが、何とこれが、関係したスペイン人の女性の数、他にはイタリア人740人、ドイツ人231人などとどんどん続くので、驚きます。同じMozartに"Cosi fan tutte"というオペラがありますが、これも(女性はみんなこんなもの)というタイトルで、旦那の留守中にどれ程硬い女性でも浮気をさせてしまう話、尚Mozartはこれらのオペラをイタリア語で書いています。Cimarosaの「Matrimonio segreto(秘密の結婚)」Donizettiの「L'elisir d'amore」(愛の妙薬)はハラハラさせるが最後は結ばれる喜劇、Operettaはoperaに-ettaという縮小辞をつけたものですが、これも喜劇で主として「こうもり」や「メリーウイドウ」などシュトラウスやレハールの作品を呼びます。メリーウイドウはイタリア語では、"Vedova allegra"(陽気な未亡人)と呼びますから、operaを辻通じて知るイタリア語もまた楽しいものです。尚、イタリアの喜劇は、通常Operettaとは言わず、(opera)buffaと言います。

86.noleggio(ノレッジョ):レンタルやリースの意味ですが、autonoleggio(レンタカー会社)のように使うことが多い言葉です。レンタカーのことは、macchina da noleggioとか、macchina noleggiataのように言います。「ノレッ」って言ってるみたいでしょう。イタリアにも多くレンタカーがありますが、61で書いたように、殆どマニュアルシフトの国ですから、オートマ車を指定するのは大変です。マニュアルの覚悟をしておいた方が良いですね。レンタカー利用者には外国人も多いでしょうから、オートマ車が絶対無いわけではありません。前以て予約すれば、出てくる可能性はあります。私も何台かオートマ車は指定して借りたことがあります。それと、高級車(特にドイツ車)を北(ミラノあたり)で借りるときは、ナポリや南方面へ行くというと、貸してくれない可能性があります。もしくは、高い保険代を払わされるかも知れません。勿論盗難保険です。南イタリアを旅行するなら、小さい薄汚れたようなイタリア車がお勧めです。イタリアの車の運転はどうかというと、運転が荒いかどうか:欧州では荒い方でしょうね。ドイツやスイスの整然とした運転からイタリアに入ると、当然楽しくなるくらいです。フランスも結構荒い方ですが、フランスの方がルールをまだ守る気がします。運転がうまいかどうか:これだけ荒く運転しますから、結構うまいと思います。イタリアでの運転のコツの一つに、「車間距離を空けるな」というのがあります。とにかく空けるとすぐ割り込みされます。そうでなければ、クラクションがうるさいでしょう。イタリアで覚えた車の乗り方に、速度メーターの使い方があります。速度計が最高180kmの車(小型車、ベンツのディーゼル車など)は、高速道路では180kmでずーっと走ります。260kmの車(BMWやSAABなど)は260kmで走ります。ここまでは私が実際に乗った車(私の運転ではない)による経験談。そして300km以上(ポルシェやフェラーリ)は300kmで走ります。速度計が「伊達」ではないということを学びました。しかし、これは古きよき20年以上前の話です。速度制限は最近は大分厳しくなったと聞いています。くれぐれもご注意下さい。尚、家の賃貸は、noleggioではなく、affitto(アッフィット)を使います。

87.calze(カルツェ:複):靴下のこと。履物を見てみましょう。靴は、scarpe(複)ですが、靴屋はcalzolaioと言います。calzetteriaというと、靴下屋または靴下工場の意味になりますが、ちょっとややこしい。calzaに-oneをつけると大きい靴下かと思いきや、calzoniはズボンのことを言います。またcalzoneは外をくるんでしまうpizzaとしても有名ですね。一方、calzaに-inoをつけると、男性用の短い靴下(日本では一般的な)を指します。何故、わざわざcalzinoというのか、それは普通の靴下は膝までの長い靴下だからです。男性がイタリアで日本と同じような靴下を探そうとすると、ちょっと困るかも知れません。とは言っても今は、どこにでもありますが、ひところ前には、基本的にロングソックスしかありませんでした。その理由は、脚を組んだときに、毛ずねが見えることは、失礼である、恥ずかしいことと思われていたからです。勿論カジュアルやスポーツスタイルは、綿の短い靴下を履きますから、その時は毛ずねは見えますがね。一方、scarpeは、-oneをつけたscarponeとは、登山靴やスキー靴の事を言います(mascarponeマスカルポーネと言う名のtiramisu`の材料として有名なチーズがありますが、これは関係ありません)。反対に小さい方は、scarpettaといい、子供用の靴屋婦人用の靴を指します。しかし、scarpettaで覚えておくと良い表現は、fare la scarpettaという熟語で、スパゲッティなどのソースやスープをパンのかけらで、お皿の底をすくって食べることをこういいます。

88.montagne russe: zuppa inglese, generale svizzero,夫々(ロシアの山、イギリスのスープ、スイスの将軍)ではありません。これは、前から順に「ジェットコースター」「ズッパイングレーゼというケーキの名前=イタリアのデザートの定番のひとつ」そして、最後は「とても厳しい(人)」の意味です。国名を使った表現は、76にも述べていますが、ここは形容詞版としておきます。ジェットコースターといえば、イタリアは日本から見ると自然の遊び場にはすごくめぐまれていて、自然と共に暮らし楽しむ施設は多いと思いますが、人工の遊び場は少なく、ジェットコースターのようなものに乗る場所はそんなに多いとはいえないでしょう。日本人の一般的な感覚からすると娯楽が少ないと感じるかも知れません。ただ、小さい施設はLunaparkと呼ばれる移動遊園地があって、carosello(メリーゴーラウンド)や小さなmontagne russeはあちこち見かけます。しかし、イタリア最大のテーマパークといえば、GardalandというのがLago di Garda(ガルダ湖)の近くにあり、リゾートやホテルもありイタリアのディズニーリゾートの様です。このGardalandには、どういうわけか、日本庭園があって確か鳥居まであったと記憶しています。興味ある方は是非一度訪れてみて下さい。1975年開業でいまでは年間300万人が訪れる大テーマパークとなっているようです。

89.gara di vela:前項でガルダ湖のことを述べましたので、少し続きを。ガルダ湖はイタリア最大の湖で、観光地として大変名高いところですが、歴史的にも大変ユニークなところです。近くにローマ時代の遺跡を発見する事も出来ますが、近年には、1943年6月に連合軍がシチリアに上陸し7月にはムッソリーニが逮捕され、9月にドイツ軍の電撃作戦によって奪還されたあと、ガルダ湖の近くに「イタリア社会主義共和国」を設立し、1945年に逮捕され処刑されるまでここに、Salo`政府を樹立(ナチスの傀儡政権)して、イタリア国内に2つの政府がある状態を創出した場所でもあります。Salo`はガルダ湖畔の町です。Garda湖は、Gabriele D'Annunzioも住んでおり、彼の住居が博物館になっています。また、この付近はチロル地方にも近く、イタリア領のTiroloのことを、イタリアンチロルとも言うようですが、ハプスブルグ家の影響も強いところのようです。実は、Garda湖で20年ほど前に、Maria Teresaという女性と会いました。会ったきっかけは忘れましたが、この女性はハプスブルグ家の血を引く女性で、直系の女性は皆、Maria Teresaという名前だと聞かされました。この女性は日本人の男性と一緒で(恋人同士)で、今はハプスブルグ家の栄光は影も無く、貧乏貴族だと自分で仰っていたのを覚えてますが、信じられる話かどうか半信半疑でした。しかし、彼女らが住んでいる家に案内されて驚きました。それは、Garda湖畔に立っているとても大きな屋敷で、確かご自分たちは一階の一部屋しか今は使っていないが、と2階を案内されましたら、窓には全てカーテンがかかり、薄暗い部屋の中は、回り一面大きな絵がかかり、世が世であればとても素晴らしい部屋(応接間なのか、ダンスホールなのか全く分かりませんでしたが)だと思われるところでした。この方たちが今はどうされているのかちょっと気になっています。さて、millemiglia(1000マイルレース)というクラシックカーレースのことは、結構知られていますが、centomiglia(100マイルレース)というレースが、ここGarda湖で開かれているのをご存知でしょうか。これは、実はヨットレース(gara di vela)で、淡水湖(Acqua dolce)のレースとしては、ヨーロッパ最大のレースとのこと。このレースも大変面白い見ものです。ただ、見に行くときは、野暮ったい格好はしない方がいいですね。イタリア人のTPOには、驚かされました。gara di velaを見に行くときは、デッキシューズを履いて、半ズボンというのがイタリアのスタイルのようです。

90.multa(ムルタ):イタリアに住んでいるとこれには時々お目にかかることでしょう。何となく日本語っぽいが、重要な言葉です。意味は「罰金」です。最初にmultaを貰ったのは、高速道路で。Carabinieriに捕まると一人が小銃をこちらへ向けて来て、車を降ろされました。罪名は、cintura di sicurezza(安全ベルト)未着用です。助手席の1人も合わせて2人分の罰金を請求されましたが、交渉したところ1人分で済みました。また、ある日これも高速道路でたまたまパトカーの後ろを走っていたら、前を走っていたパトカーに止められました。罪状は、トンネル内でのランプ未点灯。ところで、どこにトンネル(Galleria)があったかと聞いたら、100mほど前にあったじゃないかと。考えてみたら、恐らく距離にして20mくらいの高架(上は高速道路に交差している道路)の下を通ったような気がすることを思い出した。まさか、あれがGalleriaじゃないでしょう、と言っても聞き入れられず、罰金を払わされるハメになりました。またこんなこともありました。まだホテルに泊まっている頃に、レンタカーを借りて近くに路上駐車をしていました。翌朝車のところへ行くと無い。昨晩一杯だった他の車も一台もない。おいた場所が違ったのか?良く見ると道路の反対側に私の車がある?!訳が分からない、私の記憶違い?これは、路上駐車はイタリアではOKだが、週に一度清掃車が通るのですが、いつも同じ場所に止めている人は清掃車が来る日が分かっているので、その日は夜遅く車を移動させます。普通、そこに放置されている車はレッカー車がやってきて、multaとなるのだが、私の場合は場所を移されただけで済んだようだ。理由は分からないが、レンタカーだったからだろうか?!また、こんなこともあった。夕方レストランで食事をして、路上駐車していた車へ戻ると、駐車違反の切符を警官が書いている。これはいかんと走って、丁度警官が切符をワイパーのしたに挟もうとした時に、さっとその切符を私が取り上げた。これは、私の車でこれから出るところだというような事を言うと、その警察官はただただ、ポカンとしていて、結局はその切符を破いてくれた。挟む前であればセーフというルールでもあったかどうかは、知らないがこれは運がよかった例です。くれぐれも、multaには注意をしましょう。

91.paglia(パリア):「麦わら」のこと。飲むときに使うストローのこともいう。cappello di pagliaといえば、麦わら帽子。Emilia Romagna州にCarpiと言う町がありますが、ここはニット産業で有名なところ。しかしニット産業地として活動するようになったのは、第二次世界大戦後だからまだ新しい産業集積地です。なぜここにニット産業が始まったかを調べると興味深い。もともとこの地区は米どころで、その藁を使った帽子を作る小さな地区だった。しかし、麦藁帽子では、次第に産業が衰えていき、麦わらを編むという技術を利用して、戦後にニット産業をスタートしたと聞きます。イタリアは西欧諸国唯一の繊維産業での貿易黒字国ということで、1990年代に、日本の中小企業が見習えということで通産省が主導して色々研究した時期がありました。中小企業白書にも、イタリアの事例が載った時期です。イタリアの産地は、分業が確立されており、一つの産地が中小企業の分業体制でひとつの大工場を作り上げているところが紹介されていたと記憶しております。日本でも勿論産業集積地は多いのですが、イタリアでは、皮製品のEmpoliや毛織物のPrato, 絹製品のComo、ValenzaPoの貴金属、brianzaの家具など数え上げれば100以上の産地があるようです。私もCarpiには良く行きましたが、CarpiよりはCapriの方がよいとは何時も言っていた冗談でした。

92.pentito(ペンティート):あまり実生活で必要ではない言葉ですが、イタリアでは良く聞くので上げておきます。意味は、マフィアの改悛者のことです。つまり、警察に協力を誓ったもとマフィアの構成員のことです。この名前が付いた最も有名な人物はTommaso Buscetta(ブシェッタ)で、Mafiaの大物の逮捕に貢献したとされています。一方ボスの中のボスと言われていたToto Riinaは、逮捕された後Buscettaの家族を皆殺しにおりしたと言われており、未だにマフィアの脅威は続いています。BuscettaがPentitoの草分け的な人物で、その後多くのPentitoが出てきていますが、一族にPentitoが現れると、恐怖から一族がその人物との親族の縁を切るそうです。Mafiaの話は、莫大な話になるので専門家に譲りますが、常に大物政治家との癒着が話題になっており、イタリアの事を知ろうと思うなら、避けては通れないかも知れません。1980年代にはマフィア同士の抗争及び警察との戦闘により毎年1000人が死んでいると聞いて、最初はとても信じられませんでしたが、調べてみるとどうもそれくらいにはなっていそうで、驚いた記憶があります。その後Giovanni FalcomeやPaolo Borsellinoがマフィアに殺され、警察とマフィアの大戦争になり、マフィア撲滅運動も大々的に行われましたが、これは日本の暴力団とおなじでしょうか、撲滅というようにはならないようです。尚、Mafiaとはシチリアの本拠を置く非合法組織のことで、NapoliにいるのはMafiaとは呼ばず、Camorraと呼び、またNdrangheta(ヌドランゲタ)がCarabria州での組織のことです。以上ご参考まで。

93.arredato(アレダート)、vuoto(ヴオート):家具つきの、家具なしの、の意味です。イタリアでアパートを探す場合は、先ずはこのどちらから選びます。arredatoは、家具だけでなく時にはキッチンセット、寝具セット一切つきのホテルのようなところもあります。一方vuotoの方も、色々あります。本当にvuoto(空っぽ)の場合は、トイレも風呂も、流しもレンジも何にもありません。壁も塗っただけで壁紙もなし。これは、借りる人が自分の好みでつけられるようにということですが、賃貸のアパートでさえ、個人の志向を尊重するからでしょうか。イタリア人の日本でのアパート探しの感想で、何でもお仕着せのユニット製品のことが書かれていましたが、これはコスト志向と個性志向のことを言っているのでしょうね。イタリアに最初住んだときは、間接照明がどうも暗くて抵抗がありましたが、慣れてくると煌々と明るくする蛍光灯よりも、電球をうまく使った間接照明の雰囲気効果も良いと思いましたね。ただ、コストを考えるとどうかと思いますが。結局コストを優先するなら、個性を捨てざるを得ないと言うのが結論のような気がします。恐らくコスト志向と言う点では日本人は相当イタリア人には勝っているのでしょうね。ただ長く続いている文化的遺産は決してコスト志向からは生まれていませんから、文化の点からは再考が必要なのかも。costoはイタリア語でのそのままです。また、arredatoの動詞の原型はarredare(アレダーレ)といって、読み方が面白いと言った生徒がいました。なるほど!

94.grillo(グリッロ):「こおろぎ」のこと。昔Gigliola Cinquettiの歌に”Gira l'amore"というのがあって、その歌詞が次のように始まる。Il grillo canta solo per amore la pioggia cade quando un fiore muore è bello il fiume quando l'acqua è pura
ma questo l'uomo non lo pensa mai. (こおろぎは愛の為だけに鳴く、雨は花が終わるときに降る、水が澄み切った川はきれいだ、でも男はそんな事考えもしない)これで、grilloという単語を覚えました。日本では昔から花鳥風月を愛でるという風流さがあります。ある本によると、西洋人は鳥や虫の鳴き声をただうるさいと思うと書いてあって、そのことを直接或る西洋人に聞いたことがあります。そうするとその人は、「そうだ」と言いました。じゃあ、鶯の鳴き声をうるさいと思うのだろうかと、どうしても信じられません。確かに、日本でもヒヨドリか何かが沢山集まって、夕方にとてもうるさいことがあります。またセミ(cicala)やカエル(rana)の鳴き声も一斉に鳴かれるとうるさいという感じは分かります。しかし、先に上げた歌詞にもありますが、「コオロギは愛の為に鳴く」のように、見方は違っても何かを感じているのだとは思います。また、秋の虫の鳴き声を、楽しく聞くという習慣が日本にはあります。マツムシ(チンチロリン)、スズムシ(リーンリーン)、コオロギ(コロコロ)、その他スイッチョとかガチャガチャも含めて歌にありますね。実はイタリアでこれら昆虫の名前を探すのが大変です。辞書を引けば乗ってますが、あまり知られていません。恐らく、秋の虫と言う感覚はなさそうです。ちなみに、バッタはlocusta(イナゴも同じ、キリギリスも同じ)、カマキリはmantide religiosa(またはmantide)と言います。両手(鎌)を上げている姿が祈っているように見えるところからreligiosaとなっています。面白い見方ですね。

95.vitaspazio:vitaは、「命」、「生活」、「人生」などと訳されます。日本語では、夫々少しずつ違った意味をもつものが、イタリア語ではどうしてひとつなんだろう?なんてことは考えたことはありませんか。ひょっとしたら、イタリアでは(英語でもlifeが同じ意味なので、西洋社会では)同じ事なのではないか?私達は、イタリア語を訳するときに、ここは「生活」と訳すべきだとか「人生」と訳した方が良いとか考えますが、こういう風に分けることは本来の意味からは正しくないのではないか。本当はもっと他のこれら全てを包含する訳があるべきではないのかとか、考えてしまいます。また、spazio(スパーツィオ)は、「場所」「空間」など以外に「宇宙」という意味があります。英語ではspaceですね。しかし、日本語では場所と宇宙を一緒にはしません。宇宙空間とは言いますが、宇宙と空間は別のものです。こういうことを考えるとキリが無くあまり勉強にもプラスにならないかも知れませんね。難しいことは抜きで一応、何か共通するものはないのかと探してみました。すると、vitaには、[命=生命」「生活」「人生」と、「生」という共通語が見つかりました。spazioに共通語は見つかりませんが、「空」という言葉が近い様な気がします。では中国語ではどうだろうと思い、中国語で「生」の意味を調べると、(産む)(生じる)(一生)(生活)(生物)(生の)(生徒)という意味があるようです。これでもvitaという言葉とは一致しそうに無い。ごのような概念的なものは、歴史、宗教観、長年の生活環境で異なるのでどうも一概に決め付けることは出来そうもありません。これが、外国語を学ぶ際の難しい点でもあり、また面白いところでもあると前向きに捉えることにしましょう。尚、vitaには、ウエスト〈腰回り)の意味もあり、こちらはいずれにせよ「生」とも関係がなさそうです。吹っ切れましたか?私が?

96.cuore(クオレ):core n'grato(コーレングラート)という素晴らしいナポリ民謡をご存知ですか。そうですね、これはまたの名をcatari catari(カタリカタリ)と言って、オペラ歌手がアンコールや、ガーラで良く歌います。とてもいい曲ですから是非聴いてください。coreは、cuoreのことです。民謡やoperaの歌詞のなかでは、よくcoreになっています。De Amicisというイタリアの作家が書いた”Cuore"という本は世界的な名作です。日本では「母を訪ねて三千里」という題でも知られています。cuoreは「心」[心臓」の意味です。日本語で、気がつく、気になる、気を配る、勇気、などと「気」がつく言葉が、夫々、accorgersi, curiosare, curare, coraggioというイタリア語になり、それぞれ、cor か curという文字が入っていますね。つまり、これらは漢字で言う部首のような役目をしており、いわば「心」リッシンベンなのでしょうね。ただ、日本語では「気」となっているところが面白い。尚、core n'gratoの歌詞はナポリ語でイタリア語初心者には解読不能ですが、n'gratoはnon gratoの事で意味は、感じ良くない気持ちということですが、意訳すると「つれない心」となって、これが一般の日本語訳となっています。

97.macedonia(マチェドニア)、frutti di bosco(フルッティディボスコ):これらは、イタリアのデザートの定番です。前者は、フルーツポンチと訳される(日本のフルーツポンチのイメージとはちょっと違うかなと思いますが、強いて言えばそういうこと)、後者は、「森の木の実」と訳されるが、実質はミックスベリーである。more(ブラックベリー)、lamponi(ラズベリー=きいちご)、miltilli(ブルーベリー)がその主役、gelatoをかけて食べると実においしい。是非トライして見てください。甘いのが駄目な人には無理かも知れませんが。dessert(デザート、尚砂漠はdeserto)に関して日本との違いは、まずとても甘いこと、次に量が多いことでしょう。しかし、私が個人的に最も感じるのは、dessertが食事のメインであるということです。気が違ったか、メインはメインだろう、つまりイタリアならsecondoだとおっしゃることでしょう。いや形式的にはそうですが、私は絶対イタリア人の実質的な本当のメインはdessertで、メインでさえもdessertをおいしくする為にあるとしか思えないのです。その理由、たとえprimoやsecondoをパスしても、絶対にdessertはパスしないこと。dessertをパスしたイタリア人を私は見たことがありません。日本の方、特に日本から旅行や出張で来られた方は、dessertをパスする人が多い。それは、量が多いということと、お酒を飲む人は甘いものを食べない習慣からということが多いようですが、イタリア人は酒と甘いものは両方好きです。もうひとつの理由は、dessertを食べるときが一番おいしそうに、至福のときであるかのように楽しく食べるのです。だから、私はイタリアのメインは誰がなんと言ってもdessertだと思っているのです。

98.collina(コッリーナ):これは「丘」のことを指す。77でイタリアでは丘の上に町を作ると書いたが、そのことを良く理解していないと意味が良く分からないことがある。例えば、有名なケサラ(Che sara`)という歌があるが、この歌詞は次のようになる。Paese mio che stai sulla collina. Disteso come un vecchio addormentato; La noia. L'abbandono. Il niente. Son la tua malattia. Paese mio ti lascio. Io vado via. 私の故郷、それは丘の上にあり、まるで年寄りが横になって居眠りをしているようだ。退屈で、誰も見向きもせず、何も無いこと、これがお前の病気さ。故郷よ、さらば、僕はここを去る。(続いて)僕の人生がどうなるかは分からない。僕には、何でも出来る力があるのか、それとも何も出来ないのか、明日(将来)になれば分かるだろう  とこのような歌詞です(著者訳)。一般に広まっているこの歌の日本語の歌詞は、これとは全く異なるものとなっています。歌詞の内容は、直訳もあれば原文とは関係のないこともあり、それは問題ありませんが、歌詞作者がこのイタリア語の直訳では、日本人に伝えることが難しいと思って意味を変えたのではないだろうか。私はこの歌を聴いて、年寄りが居眠りをしているようだという表現を、退屈で何もすることがないという意味と、もうひとつは丘そのものがそういうように見えるということをかけているような気がする。考えすぎかも知れないが、そう思うとUmbriaやToscana地方の情景が頭に浮かび、この歌がとても心に響く。あの丘はそう見えないこともないのだ。歌詞のなかにdistesoという表現があり、これが形を想像させるからかも知れない。尚、paeseは国のことも小さい村の事も言う。日本語でもおらが国といえば、おらが村のこと。Collinaといえば、そういう名前の有名なarbitro(サッカーの審判)がいたのをご存知だろうか? 日本人なら、おかさんです。

99.Decamerone(デカメローネ):Giovanni Boccaccio作のデカメロンである。decaは10の意味で、meroneはギリシア語の日から来ている。つまり、本来「10日」という意味なのだが、日本語では「10日物語」のようにも訳されている。decaはdecade(10日、または10年、英語も同じ)、decalogo(モーゼの十戒、英語ではdecalogue), decathlon(十種競技)などに使われる。さて、decameroneはその名前の有名さに拘わらず、内容はあまり知られていない。これは、10人の男女が夫々10個の話をするという、千一夜物語のようなお話で、イタリアの最大の詩人DanteのDivina Commedia「神曲」の影響を多く受けていると言われ一方、「神曲」が神の道を説いたのに対し、Decameroneは人間を描いたものとして対比されることもあるようだ。実際に、Decameroneは教会から神への冒涜とも呼ばれていた。Firenzeの駅の名前は、Santa Maria della Novellaとも言われるが、それはすぐそばにその名を冠した教会があるからである。そして、この「10日物語は」この教会で知り合った高貴な人々が、のちにFiesoleに集まって話をしたのをまとめたものとの設定になっている。Fiesoleは、Firenzeからバスで30分くらいのところにある、小高い丘であり、昔から金持ちの別荘地として知られる。今でも、有名デザイナーの大きな館があることでも有名だ。Decameroneが書かれた時代背景は、peste(ペスト)が大流行して毎日多くの人が亡くなっていた時で、pesteへの感染を恐れた上流階級の人々がFiesoleに避難してこういう話をしているところを、Boccaccioが書いたのだということを知ったら、次にFirenzeへ行くのが楽しくなるのではないだろうか?

100.notaio(ノタイオ):公証人のことである。これが何だ?と思われるかも知れませんし、実際に私もnotaioのことについてそんなに書くことはありません。しかし、もしイタリアに住もうという人がいたら、必ずこのnotaioに会うことになるので、書いておきます。公証人とは、あなたがあなたであることを証明してくれる人です。例えば、私が日本の或る会社を代表して、イタリアに駐在することになると、日本の公証役場へ行って、その会社の社長から、こういう権限を委譲されたという書類を作って貰います。それを、英語かイタリア語にして、イタリアへもって行き、事務所を設立または、既に存在する事務所の代表者として、認めてもらう為に、イタリアの公証人のところへ行き、証明書を貰うのです。家を借りるとき、スポーツクラブへ入会するときなど、常にnotaioへ赴き証明書を貰わねばなりません。そして、notaioというのは、私の印象では、利権の最たるもので、まず世襲制だそうですから、殆どなれません。notaioは殆ど暇です。行っても殆ど他にだれもいませんが、秘書がいて、待たされます。notainoの事務所は、暇な割りに、とても立派です。しばらく、待たされてnotaioは忙しそうにやってきます。そして、私の書類に1分でサインをして終わりです。料金は、2万円ほど(1990年頃)です。つまり、一日に1分仕事をして、食べて行けます。一日に3分仕事をしたら、楽々です。夏休みは2ケ月公証人はいません。羨ましい職業でした。

101.commercialista(コッメルチャリスタ):notaioを書いたついでに、イタリアのcommercialistaという職業の人のこともご紹介しておきます。辞書を引くと、会計士となっていますが、どうも違うような気がします。私の知っている commercialistaは「何でも屋」「便利屋」さんでした。家を借りるとvuotoの場合は、水道の水を出してくれるように、ガスを供給してくれるように、電気を点けてくれるように、自分で役所へ行って申請せねばなりません。しかも、申請してから電気がつくまで1ケ月かかったりします。こういうことをやってくれる人が私にとっては、commercialistaでした。勿論この程度のことは、自分でも出来ますし、commercialistaでなくとも、探せば本当の便利屋さんがいて、やってくれます。一番助かったのは、ヴィサの延長申請です。Questura(警察署)へ行っても、一般の難民と一緒に並ばねばなりません。1990年代当時、visa申請にQuesturaへ行って思ったのは、並んでいるのは、殆どがアフリカの人か、アジア人で、西欧人をあまり見かけません。当時並ばすに済んだのは、Euroの国の人(Euro圏内ということで)とAmericanoでした。アメリカは外交でイタリアと合意して、別にvisa審査をしていると聞きました。私は仕事で行っていたのですが、visaを持っていない難民や不法入国者が時々恩赦が出て、visaを貰えます。こういう人が毎日のように朝から晩まで並んでおり、ここに一緒に並べというのが基本でした。実際当時は、日本の外務省は一体何をやっているんだと、ぶつぶつ言っていたことを思い出します。こういうときに役に立つのが、commercialistaでした。彼らは、弁護士とか会計士などの資格を持っているのかも知れませんし、単にそういうところに顔が効くだけかも知れません。彼らに任せておけば、並んでいる人を尻目に、正面から堂々と入っていけたものでした。並んでいる人に多少後ろめたい気持ちはありましたが。notaioといいcommercialistaといい、ちょっと不思議な職業という気がしたものです。

102.avvocato (アッボカート):弁護士です。やはり、このmestiere(職業)のことも書かねばならないでしょう。私はたまたま全くタイプの違う二人の弁護士と付き合うことになりました。一人は、会社としてつきあった弁護士です。この弁護士さんとは、2~3回会っただけです。顧問契約を結ぼうと思って電話をしたり、直接会いに行きましたが、請求書が来て驚いたので、よほどのことが無い限り連絡を取ることがありませんでした。アポイントを取った電話の時間、勿論顧問契約をしに行ったとき話し合った時間が、全て請求されて来ました。基本的に弁護士さんとは、そんなものだとは思っていましたが、立って挨拶した時間は数えなかったと思いますが、座った途端に、ストップウオッチのスイッチが入りました。最初はゆっくり話をしていましたが、請求書を貰ってその金額を見てからからは、殆ど話すことはなくなりました。もう1人の弁護士は、個人的に問題事を頼んだ人です。ある詐欺事件に拘わり、個人的に弁護士を訪ねました。確か最初に、手付金のようなものを払ったと思います。この裁判は、2~3年かかったと思います。2~3年後に原告側証人として、裁判に赴きました。裁判官がなんとか言って、被告側弁護人が何とか言って、5分で終了し、すぐに弁護士同士で示談(和解)が始まりました。恐らく裁判所が和解を勧めたんでしょうね。実は、私はその時はイタリアには住んでおらず、たまたま出張で出掛けた時でしたので、その場で片付けたいとは思っていましたから、大体で手を打ち金額がまとまると、直にその場で相手は私に現金で払いました。最初から示談になる準備をしていたんですね。なんだか良く仕組みも分からぬまま、解決したことになりましたが、私の弁護士が報酬について実は、何も言わないのです。帰りの車(実はその弁護士の車で、MilanoからComo方面へ行っておりました)の中で、何か言い出すかと思いながら、一体いくら払えば良いのだろうと悩んでいました。結局、降りるまで何も言わないので、私が「気持ち」として、「車代だ」と言って、ちょっとはずんだ金額を渡しました。この後で、請求書が来るのかなと思いながら、まあ一応これで、終わったと安心しました。そして、その後実は何にもないのです。私が、最初に手付金で払った金額は、該当金額の1%くらいのものだったでしょう。和解で、全額ではないもののある程度戻ってきましたから、成功報酬はあるかと思っていましたが、あれで終わりとは不可解です。考えられるのは、弁護士同士で和解金以外に何かあって、取り合ったのではないかという想像でしかありませんが。尚、イタリアは身分社会とでも言いますか、大学を出ると,signoreがdottoreになります。もし、法学博士か弁護士ならavvocatoと呼ばねばなりません。技師ならingeniereなど資格を持っておれば、それが呼称になります。Cavaliere勲章を貰った人は、cavaliereと呼ばれますし、commendatore勲章を貰った人は、commendatoreと呼ばれます。格は後者(commendatore)の方が上です。Berlusconi首相はcavaliereです。また、avvocatoに、冠詞をつけてL'Avvocatoと呼ばれた人は1人しかいません。FIATの創業者、Giovanni Agnelli氏です。


103.postino(ポスティーノ):"Il Postino"という映画がありました。1994年の制作で、アカデミー賞を受賞しています。意味は「郵便配達人」。この主役のMassimo Troisiと言う人は、心臓が悪く、この映画の撮影の為に手術を延ばしていたそうですが、撮影が終わった直後に、attacco cardiaco(心臓発作)に襲われ亡くなりました。映画は小さな島のpostinoのことを描いています。郵便といえば、イタリアは名だたる遅配の国だとも言われています。確かに、まともに着くこともあれば、なかなか着かないこともあります。しかし、必ず着くというのがイタリアの郵便のようです。1年後に着いたというような話も聞きます。postinoは、公務員ですから、午前中しか働かないで、午後は休暇を取って民間のデリバリー業者で働いている、というようなことは事実かどうか分かりませんが、良く言われていることです。何故イタリアの郵便が遅れるのか、私が見たことを述べます。ミラノの郊外の或るcomuneは、住民が1000人くらいの小さなcomuneでした。このcomuneにも、勿論郵便局はあります。ところが、このcomuneに民間の大規模アパート(日本で言えばマンションに相当)が出来て、住民が一挙に10,000人に膨れ上がりました。しかし、郵便局(ufficio postale)はそのままです。ある日郵便局へ、出向きますとその入り口から、係員がいるところ、廊下の隅々まで小包(pachetto)の山でした。postinoの数は以前のままですから、毎日毎日小包の山が高くなっていくばかりです。しかも、postinoは、新しく積まれたものから(上の方から)、取り上げて配達していくので、下の方はほっておかれ、配達が何ヶ月も伸びてしまう。恐らく、公務員ですから新しく人を増やしたりするのに大変時間が掛かるのでしょう。半年後か1年後には配達人の数は住民数に見合う数になるのでしょうが、それまではこんな状態が続くのでしょう。以上私が確認した状況です。全てがこんな理由ではないのでしょうが、このような理由がいくつもあって、遅配がなされるのではないかと思われます。しかし、どんなに遅れても必ず着くのです。 

104.PRONTO SOCCORSO(プロント ソッコルソ):救急病院のことです。旅先で、事故にあったり、具合が悪くなったらここへ行きます。イタリアの医療制度の事は、専門家に譲るとして大体のことを経験に照らして書いて見ます。技術がいいのか悪いのか?分かりません?イタリアで骨折の手術(operazione)をしたが、うまくなく日本に帰ってもう一度手術をせねばならなかった、と言う話を聞いたこともありますが、ゴルフ場で脳の血管が破れ、危なかったがヘリコプターが来て病院に連れて行き一命を取り止めた人もいます。この方の話だと日本では、応急処置及びその後の治療も含めて、こうはいかなかったと感謝されてました。一般に公立の病院だと全て保険診療ですし、Pronto Soccorsoは基本的に無料です。歯医者では、最初保険診療の病院へ行きましたが、抜いた後夜中に血が止まらず、次からは保険の効かない医者にかかりました。保険診療はかなり低額でしたが、一般の医者は逆にかなり高額でした。Pronto Soccorsoへ子供の事故で行ったときには、大分待たされた記憶がありますが、日本の大病院でも3~4時間はざらに待たされますから、ちょっと比較が難しいかなと思います。事務所で間違って、ハサミで指を1cmくらいえぐってしまった事があり、取りあえず近くのFarmaciaへ行きましたら、そこで治療をしてくれました。20年以上前の事故で未だに傷跡がしっかり残っている怪我でしたが、病院へは結局行かずに済んだことが、ちょっと心配でもあり不思議でもありました。基本的にFarmaciaは処方箋がないと薬を出してくれません。ビタミン剤や目薬などは除きます。犬の寄生虫でfilariaというのがあって、その予防薬を飲ませねばなりませんが、処方箋がないと売ってくれません。またかなり高価な薬ですが、処方箋があるとかなり安くなります。しかし、処方箋を得るためには動物病院(veterinario)へ行かねばなりませんから、結局は高くつきますが。尚、pronto soccorso(緊急の救助=救急病院)の電話は118です。       


105.ossobuco(オッソブーコ):食べ物の話をしよう。ossobucoは子牛の骨付き脛肉の煮込みで、ミラノ料理である。ossoは骨、bucoは穴である。ossobucoは穴が開いている骨だと思えば良い。骨髄も食べる。ただ、骨付きなので、意外と食べる量は少ないかも知れない。とてもお腹がすいていていっぱい食べたい人にはお勧めできないかも。 逆にいっぱい食べたい人は、fiorentina(フィオレンティーナ)を薦める。これは、勿論フィレンツェ料理で、正確にはBistecca alla fiorentina という。大体一人前1kgが基本だと言われるが、骨付きで1kgなのか、骨なしで1kgなのかは分からない。普通の人がどれくらい食べるのか知らないが、5人くらいで食べに行ってfiorentinaを1kg というと、一般の日本人には丁度良いのだが、まあだいたい、そんなんじゃ情けないから駄目だと、言われる。実際には、一般のレストランで、一人前300~500グラムくらいの量が一般的のようだが、店によっては量を売り物にしているので、1人1kg単位の話になる。一度4人で、追加も入れて3700gほど注文したことがあるが、この時は大食漢が二人ほどいて、この二人で3kg以上平らげた。有名なローマ料理には、saltimbocca(サルティンボッカ)がある。これは、salto(跳ぶ)+in+bocca(口)で口に跳びこんでくるくらい、簡単に出来るものという意味らしい。ローマだけの料理ではないが、ローマのものが有名である。子牛の肉と生ハム、セージを巻いて、ワイン、小麦粉、バターなどで作る。さて北から段々降りてきたので、次はナポリになるが、ナポリは料理の名前よりも、spagehtti, pizza, そしてfrutti di mare(海の幸)料理なら、ここが一番と言うほど料理全体として奥が深い。奥の深さは、今回はおいといて、pizza Margheritaを上げておこう。ご存知の、pizzaの定番で、大体一番安い。mozzarella 、pomodoro, basilicoをトッピングしているだけだが、pizzaといえば、これが代表格。Margheritaとは、Umberto一世(イタリア王国2代国王の妃の名前で、このpizzaは彼女に捧げる為に作られたとも言われる。赤(pomodoro)、白(mozzarella)、緑(basilico)がイタリア国旗の色を表わすことから。

106.gelato(ジェラート):日本語でも使われるので、説明の必要はないでしょう。gelatoは、gelare(凍らす)の過去分詞形ですから、もともとは単に「凍った」という意味。どうしてアイスクリームのことになったのかは分からない。同じくghiacchareという動詞も「凍らす、氷結させる」という意味があるが、その過去分詞から派生した ghiacciolo(ギアッチョーロ)はアイスキャンデーのことを言う。冷たいものの仲間で、sorbettoはシャーベットのこと、またghiacciataといえば、氷の砕いたものが入っている飲み物を言う。granitaもカキ氷のことを言う時に使われる。さて、gelatoとは本来アイスクリームとは違うと言われているが、イタリアではgelatoをgelato artigianale とgelato industrialeとに分けている。前者が一般的に言えば、お店で種類を選んでコーンや箱に盛ってくれるもの。後者は紙箱やケースに入ってスーパーやデパートで売られているもの。そしてその違いは、かなり明確です。まず、お店で食べるgelatoは、乳脂肪分が6-10%、箱入りは8-12%となる。空気含有量は前者が最大35%、後者は最低70%と大きく異なる。これは、密度を表わすので、前者はかなり密度が濃いがカロリーは低いということになる。両者の違いは、基本的には生産から消費までの時間であり、前者は速く消費されるのに対し、後者は遠くへ運ばれることもあって、長い保存に適したものとなっている。イタリアのgelatoが何故おいしいか?それは、世界中で唯一、gelato artigianale(ハンドメイド)の販売量がgelato industriale(工場生産)を上回っているという本物志向の国で作られているからでしょう。

107.torcicollo(トルチコッロ):突然この言葉を書くことになったのは、当校のイタリア人講師が、これになったから。これは、医学的には「斜頚」というがつまり、「寝違えて首が回らなくなったこと」をいいます。torcereは「ねじる」colloは「首」ですから、首がねじれたということ。かなり重症だと、ムチ打ち症状態になるが、ムチ打ち症は colpo di frustaという。frustaは「ムチ」のことで、日本語と同じだ。colpo di strega は既に紹介したが、こちらはぎっくり腰でしたね。さて、torcicolloで「首が回らない」というと、これは日本語では、その前に(借金で)を付けた意味になるのだが、イタリア語でもcollo(首)を使って、fino al collo(首まで浸かって)という言い方をする。E` indebitato fino al collo. は借金で首まで浸かっている(借金で首が回らない)。なお、collo ついででひとつ慣用句をあげておきましょう。 obtorto collo (意に反して)とか(心ならずも)という意味です。これの語源は、ラテン語ですので、obtortoがどういう意味なのか、イタリア語の辞書には載っていませんが、これは普通に使う表現ですから、覚えておきましょう。ラテン語ですよ。

108.pancia(パンチャ):「お腹」のこと。stomacoは(胃)だから、お腹が痛いというときは、avere mal di panciaの方が、直訳としては当たっている。まあ、avere mal di stomacoといっても意味は同じですが。panciaのように、-ciaで終わる単語はイタリア語には多いが、なんとなく親しみを感じます。それは、日本語にもあるからでしょうね。日本語の、「~ちゃ」には、無茶苦茶、ごちゃごちゃ、ガチャガチャ、いちゃいちゃのように、続けて使うものが多く、だいたいユーモラスなニュアンスがある。スペイン語で、muchacha(ムチャチャ)は、女の子のことで、日本語の無茶苦茶に似ているということで盛り上がったことがありますが、何年も前の話です。日本語には他にも、~茶(ウーロン茶、抹茶)、加藤茶(これは余計ですか)、じっちゃ・ばっちゃ(これは方言の爺さん、婆さん)など、なんだかんだで「ちゃ」で終わる表現は確かに多い。イタリア語の-ciaを探してみました。こういうことは、面白くてすぐに探究心が湧きます。 既に紹介した、doccia, boccia, gocciaなどのほかに、focaccia(フォカッチャ:pizzaのようなパンです)、salsiccia(ソーセージ)、marcia(行進、英語のマーチ)、roccia(岩石)などたくさん有りますね。こんなのもあります、accia(かせ状態のさらしてない糸=繊維関係者にはわかるでしょうが)、coccia(剣のつば)、合わせると アッチャコッチャ。女性の名前にもありますね。Nuccia(ヌッチャ)。なお、farmacia(ファルマチーア)やLucia(ルチーア=女性の名前)は、アクセントが i の上にあるので、チャとは読まないでチーアとなるので注意。 さて、panciaに話を戻して、縮小辞のettoをつけて、pancettaというと、料理用語で豚のバラ肉の塩漬けのことをさす。また、同時に(お腹が少し出ている)の意味もある。pancioneは、-oneという拡大辞をつけるので、(太鼓腹)となる。お腹が少し出ていることを、panzettaともいう。名前は似ているが、panzerotto(パンツェロット)というのは、ミラノでは大変有名な食べ物である。もとは、Puglia州の食べ物だが、ミラノのDuomoの裏にある店は、いつも若者で賑わっている。最後に、おでぶちゃんのことは、ciccioneという。ciccia(お肉、贅肉)というこれも、-ciaで終わる単語の仲間からの派生語ですが、使わないように注意をしておきます。

109. PRECETTO(プレチェット):もしあなたにこのような手紙が来たら、ちょっと緊張することでしょう。これは、「命令」「勧告」という、公的機関からの拒否出来ない書類です。「召喚状」なども指す。今回は不思議な話を紹介します。いや、ひょっとしたら不思議でもなんでもなく、私だけが不思議だと思っているのかも知れない。イタリアには徴兵制度がありました。あったというのは、2005年1月から廃止されて、志願制度になったからです。1996年に私はイタリアにいました。そのとき、このPRECETTOが私の息子あてに届いたのです。この場合のprecettoの訳は「召集令状」です。Precettoはまず、この文句から始まります。REPUBBLICA ITALIANA(イタリア共和国) Distretto militare-Ufficio leva di Milano(軍管区ーミラノ徴兵事務所)そして、LEVA SULLA CLASSE DEI NATI NELL'ANNO 1978(1978年生まれ兵の徴兵)と続き、PRECETTO per presentarsi alla visita pscico-fisica di leva e selezione per essere arruolato, se idoneo al servizio militare. (命令 兵役につけるものは、適正検査を受け、入隊のため出頭すべし)とある。ここでいったん切れ、IL SINDACO invita l'iscritto di leva (ここに名前、生まれた場所、誕生日、住所などが入る)a PRESENTRSI entro le ore 8,00 del giorno XX al consiglio di leva XXと後は、上に書かれていることと似たような内容が続く。つまり、最初はイタリア共和国の命令で、次にミラノ市長からの命令と続く。そして、Il destinatario del presente precetto, non presentandosi in tale giorno, sara` dichiarato renitente e potra` incorrere nel relativo reato, punibile ai sensi dell'art XXXX. (この召集令状の受取人が、指定された日時に出頭しない場合、命令に従わないものと認め、法律に従いその不法行為に対して処罰される恐れがある)という文言が続いています。お断りしておきますが、私の妻も日本人で、勿論息子も日本人。96年に18歳になったということで、この令状が届きました。すぐにcomuneに行き、私の息子は日本人だと言ったところ、関係ないと言われてしまった。私は逆に、日本人がイタリアの軍隊に入ってもいいのだろうか、と思ったのだが、どうも関係ないらしい。なんと、おおらかな。じゃ息子にイタリアの軍隊に入らせようかと一瞬は思ったのですが、実はその時息子は高校生でイタリアにはいなかったのです。それで、総領事館へ行って、息子は日本人であるということと、今学業のためにイタリアにはいないという証明書を書いてもらって、それを提出して一件落着となったのだが、落着となった理由は、どうも日本人であるということではなく、学業でイタリアにはいないということだったようだ。現在、イタリアでは徴兵制がなくなったので、こんな経験をされる方はいないかと思うが、私の手元にはいまだにこのPRECETTOがある。なお、下位春吉という人が「大戦中のイタリア」という本を書いているが(大正15年発行)彼は、なんと日本人でありながら志願兵として、イタリア軍隊に入り第一次世界大戦に従軍している。彼はD'Annunzioとも親交があったことで知られているが。そういう歴史をみれば、日本人だからって、イタリアに住んでいれば徴兵しない理由はないのかもしれないが。今思えば、息子に少しだけでも軍隊を覗いて来てほしかったなと。いずれにしろ、この国に住んでいると色々なことが起きて、飽きないでよろしい。

110.anguilla(アングイッラ)とanguria(アングーリア):単語が似ていてなかなか覚えられないものの一つが、これだ。anguillaはウナギ、anguriaはスイカのことである。ミラノの近郊を通ると、夏にはこのanguiriaが道路端に山ほど積んであるところがあった。多分全部なくなるのに2ケ月ほどはかかったと思うが、通るたびにだんだん少なくなっているのがわかる。こちらの、スイカの売り方は、とにかくどーんと積んであるだけ。車で通りかかった人が、その中から選んで買っていく。売る方も、声を上げるでもなく、ただ、スイカのそばに座っているか、ほとんどの場合スイカの周りには誰もいない。anguriaとは、北イタリアでのスイカの呼び名で、一般にはcocomero(ココメロ)という。なお、ココやしのことは、cocco(コッコ)といい、cocomeroとは違う。cocomeroを省略してcocoとは言わない。coccoと間違えやすいから。ついでに言うと、cocaは今コーラのことを指すが、もともとは、コカの木のこと。今は、cocaというと、cocaina(コカイン)のことも指すので、使う時には注意。他に間違えやすいのに、capello(髪の毛)とcappello(帽子)がある。これは、聞いてもほとんど区別が分からない。状況で判断するしかないでしょう。さて、話を戻してanguillaのことだが、みなさんゴジラはご存じだと思うが、アンギラスというのは聞いたことがありますか。これが最初のゴジラ映画だったのかどうか、そこまで詳しくゴジラのことは知らないが、初めてみたゴジラ映画は、ゴジラ対アンギラスだった。このアンギラスというのは、イタリア語を勉強してからは、ウナギ(anguilla)の怪獣のことだと思っていた。しかし一説にはウナギとは関係なく、公募で名前を決めたとある。しかし、つけた方が、ラテン語から発想していないとは言えないだろう。、今となってはわかりようもないが。しかし、アンギラスは海外では、アンジラとウナギの学名で呼ばれている(学名といいうのは、基本的にラテン語)そうだから、少なくとも海外でのアンギラスはウナギのイメージで問題なさそうです。但し、アンギラスそのものは、恐竜からイメージしたもので、どうみてもカメかトカゲの怪獣という感じで、ちょっとウナギとは遠い。従い、私は敢えて、アンギラスはウナギだと主張するつもりはありません。

111.ciabatta(チャバッタ):履物について、分類してみよう。ciabattaは、パンの名前として有名なようだが、本来は「スリッパ」という意味である。パンの名前になったのは、パンをスライスした形がスリッパの形(というより、足裏の形)をしているからに他ならない。ciabatte は通常、土足のスリッパ、草履やサンダル(カカトが平べったいもの、ビーチサンダルなども含む)の意味で使います。室内履きの方は、pantofole(パントーフォレ(複))という。pantofoleは通常は足先の部分がおおわれている形状のいわゆるスリッパだが、特に形は決まっておらず、靴の形をしたものも室内履きならpantofoleと呼ぶこともある。zoccoloは木靴のことである。この言葉は、馬など動物のひづめのことも言う。サンダルに木(コルクなど)を使ってあれば、それもzoccoloと呼ぶ。また、sandalo(sandali)という言葉もある。これは、普通のサンダル(踵があるもの)のことを言うのだが、ciabatteと特に境界があるわけでなく、人によってciabatteと呼んだり、sandaliと呼んだりしている。またciabattaは、ぼろ靴のことも指すこともあり、sandaliよりは、一般的には安っぽい印象である。ファッション的なものは、どちらかと言えば sandali と呼ばれる。stivaliは長靴。勿論、長靴はイタリアのことでもある(Stivaleという)。stivaliをよく見ると、Italiaという文字が隠れていると思うのは、考えすぎだろうか? anagramma(アナグラム)としては成立はしていないが。

112.binario(ビナーリオ):イタリアで列車旅行をしたことがある方なら、何となく目にしたか耳にしたことがあるのがこの言葉。駅でのアナウンスです。”Il treno regionale 2603 delle ore 11:15 per Firenze e` in partenza dal binario 19”.(ローカル線11時15分発フィレンツィエ行きは19番線から出発します) Il treno Intercity 2901 delle ore 11:25 proveniente da Ancona e` in arrivo al binario 17.(インターシティ2901号、アンコーナ発列車は17番線に到着します). Attenzione, allontanarsi dalla linea gialla. ”このようなアナウンスを聞いたことがあるでしょう。binarioはプラットフォームのことですね。最後には「黄色い線の内側までお下がり下さい」という言葉ですが、イタリアでも日本と同じことを言ってます。 さて、bi-は「ふたつ」という意味ですね。bicicletta「二輪車=自転車」、binocolo「双眼鏡」、biennale「2年ごとの祭典」などが知られていると思います。binarioには、線路と言う意味があります。つまり二つレールがあって、線路=binarioというわけです。また、binarioはもともとは、2進(2進法の数字)のことです。1と0を並べた数字です。 レールのことは、rotaiaといいます。鉄道は ferrovia(=鉄+道)と呼びます。では、モノレールは? これは、monorotaiaと呼び、binarioは使わないようです。次のようなアナウンスもご紹介しておきましょう。遅延のアナウンス annncio ritardo del treno: Il treno frecciarossa 9012 di Treniitalia delle ore 1715 proveniente da Torino Portanuova arrivera`con 50 minuti di ritardo per attesa materiale corrispondente. Ci scusiamo per disagio.(ご迷惑をお詫びします) 次のアナウンスは困りますね annucio cancellazione treno(運行停止のご連絡): Ilo treno regionale previsto in partenza delle ore 10:05 oggi non sara` effettuato.(10時5分発のローカル列車は今日は運行停止です)

113.dialogo(ディアーロゴ) : catalogoという書き始めにしようかと思いましたが、いや既にこれは85番で使っておりましたので、dialogoとします。catalogoは日本語で「型録」とも書きますが、これは全くの当て字。「背広」なぞも、サビル・ローというイギリスの地名から採ったものだそうですが、これらの漢字はなんとなくイメージを出そうと当てたものでしょうね。まあ、こんな話はどうでもよいのですが、catalogoは、cata-logoという合成語です。-logoは、monologo(独白), prologo(序言)、epilogo(終章)、dialogo(対話)などの意味では、「論議」「談話」を意味します。前につけて、会社の「ロゴ」は、logotipoと言います。logoは他には、学者や専門家を意味し、meteorologo(気象学者)、astrologo(占星術師)などと使われます。さて、logoの前の方についている、monoはひとつ、proは前、epiは後ろを意味します。そしてdiaは通過とか媒介を表わすんだそうです。dialogoというのは、言葉が通過するまたは媒介するから、対話になるということでしょうね。こういう接頭辞や接尾辞は、漢字でいえばヘンやツクリに相当するもので、こういうものを調べてみても結構思い白いものです。なお、cata-が何かと調べてみましたが、cata-はギリシア語では「下」という意味があるそうです。例えば、catacombe「地下墓地」は分かりますが、catalogoのcataは違うようです。 カタマランという双胴艇がありますが、イタリア語ではcatamarinoといいます。しかしこれも、「下」とは関係がなく、もともとはタミール語(スリランカ)だとのこと。まあ、今のところcatalogoのcata-が何かは分からずじまいですが、ご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。また、catalogoというのは、目録ということで全てのデータが載っているものを指し、一枚や数枚で宣伝用に作ったパンフレットのことは、catalogoとは呼ばずdepliant(デプリアン=フランス語)と言います。

114. mare(マーレ):male もカタカナで書くと、マーレとなる。日本語には、厳密にいえばは別にして、一般にはRとLの区別がないので、トラブルが起きることがある。勿論RとLだけでなく、アクセントや抑揚、その他の発音でも色々と問題は起こる。要はそんなことでいちいちめげてたら、会話はできないし語学は上達しない。日本語でも上方と東京では、言葉やアクセントはかなりことなるのだから。ある人が小包を船便で送ろうと、郵便局でmare?と聞いたら、局員さんが、Bene, bene.と言ってきた。送ろうとした人はbeneだから良かったと、そのまま帰ってきたが、実は male?(ダメですか?)と相手には聞こえていて、相手は「いや大丈夫」だと答えたのだが。会話にはなっていないが、ことは収まっている。(本当にvia mare=船便で行ったのかどうかはわからないが)。中国でおおよそ1985-6年頃だと思うが、個人タクシーが増えてきた。それまでは国営企業で、料金は決まっていたのだが、個人タクシーになると乗ってから料金を交渉しなければならなくなった。相手がいくらかというのを、1~2回ねぎって、まあいいかと、「可以」(OKの意味)といったつもりだが、相手は、うーんと考えてまた値段を下げてきた。実は、私の中国語の発音、特に四声はめちゃくちゃなので、「貴」(高い)と聞こえたらしい(ちなみにどちらも私にとっては「クーイ」のような音である)。これなどは、とくした例である。従い、あまり細かいことに気を遣わない方が良い。私の発音の失敗談は51番にも載せているが、まあ山ほどある。恐らくみなさんも一つや二つはあるのではないでしょうか。たまにはいいこともあると、思うのがいいのでは。知り合いのオーストラリア人は、Hakoneを「ヘイコーン」、Ikebukuroを「アイクビューロー」と言っていて、一体どこへいくのかさっぱり分からなかった。東京に(小竹向原)という場所があるが、そこに住んでいる当校講師のイギリス人が言うと、小竹がケンタッキーと聞こえる。イタリア語は、LやRを除くと発音にはそれほど困らないが、英語などはネイティブらしい発音を覚えるよりも、中味が大事だと思うが如何か?日本語の発音でも文章を話せる、自分の意見を言うことがどれほど大事かということです。私は、外国語のテキストで一通り学習したら、次は作文を勧めます。日本語を外国語にしないで、どうして自分の意見と言えるのか、と思うのです。

115.passaggio(パッサッジョ):一般の意味は、通路とか通過。 "Vietato Passaggio" という看板があったら、通行禁止(または通り抜け禁止)。"passaggio pedonale"は「舗道」、passaggio sotteraneo は「地下道」。passaggio a livelloは、「踏切」のことである。さて、この踏切だが、意外とイタリアなどにはない。日本にもないと思うのは、住んでいる場所によるのであって、東京に住んでおられる方は、私鉄はほとんどこの踏切であることをご存じですね。都内の新宿や池袋に近い、私鉄沿線は場合によっては、6~8台ほど電車が行ったり来たりで、開くまで相当待たされてイライラする方も多いでしょう。イタリアでも、めったに見かけないが、地方へ行くと高架されていない関係で、踏切に出会うことがある。それは、ほとんどかなりの田舎であることが多い。イタリアで何度か踏切を渡った経験がありますが、イタリアの踏切の特徴は、何と列車が来る30分ほど前に閉まってしまうこと。従い、踏切がある場所に、BARがあることがあります。踏切が閉まったら、みなやおら車から降りてきて、そのBARに入り、ESPRESSOを一杯飲んで、列車の通過を待ちます。結局これで、いらいらすることもなく待っていられるのでしょうね。遮断機が早く閉まる理由は、だいたい無人の踏切ですから、早めに閉めて事故を防ごうと言うことらしい。まあ、分かっている人は、コーヒーが飲めて良いと、特に騒ぐ人はいない。なお、遮断機のことは、sbarraといいます。また、passaggioには、車に乗せること、ヒッチハイクなどの意味もあり、Ti offro un passaggio alla stazione.といったら、(駅まで乗せてあげるよ)という意味です。

116.gianchetti(ジャンケッティ):biachettiとも言うらしいが、ミラノではgianchettiである。Liguria料理だそうだが、これは、「シラス」「シラウオ」または「ジャコ」のことを言う。なんともユーモラスな名前で、忘れられない。このシラスは、特別なネットを使って捕る、そして捕る時期も決められており、比較的価格は高い。茹でで、温かいうちにオリーブオイルとレモンをかけて食べるととてもおいしい(リグリア料理)。捕れるのは、冬だけ。従い、春先に食べるのが良い(この時期でないと食べられない)。まあ、一度聞くと忘れられない言葉のひとつでしょう。何しろ、ジャンケンに似てますから。辞書を引いてみたが載っていない、イタリア人でもBianchettiと言えば分かるが、gianchettiでは分からないひともいる。でもね、やはりこれはgianchettiでないとね。

117.coppa(コッパ):cup(カップ)のことである。訳せばそれで終わりだが、この言葉はよく聞くので、覚えておいて損はない。Coppa Mondiale (ワールドカップ)、Coppa Italia(イタリアカップ)などの優勝杯の争奪戦、アイスクリームの紙カップ(コーンではない、コーンはconoという)、またブラジャーのカップのこともこれを使う。サッカーなどのカップ戦は、coppaを使うが、年間を通して戦うリーグ戦のことは、scudetto(スクデット)と言います。こちらは、「盾」のこと。また、a cup of coffeeのように、コーヒーやティーカップのことは、tazza(タッザ)を使って、una tazza di caffe`(te`) といいます。ちなみに、una tazza da caffe`と言えば、一杯のコーヒーではなく、コーヒー碗一皿のことなので、diとdaは間違えないように。小さいコーヒーカップのことをデミタスと言いますが、イタリア語ではtazzinaとなります。

118.buffone(ブッフォーネ):10番でbuffoneについて、少し説明しています。RigolettoというVerdiのオペラの第一幕で、Mantova公爵がRigoletto(主人公であるが、実は道化役者)を指して、”Buffone!"と叫ぶ場面があります。「道化役者め!」という悪口で言っているのでしょうが、相手は、まさにその道化役者ですけれどね。buffoneは勿論、buffo「おかしな、コミックな」に拡大を意味する接尾語-oneをつけたものです。しかし、この言葉は悪口としてよく使われます。長く政権を維持していた首相が辞めました。辞任会見のあと、彼に対して色々な言葉が飛んでいます。その中に、"buffone!”というのがあります。この場合は「道化者!」というよりも、単なる悪口というところでしょうね。道化師には、pagliaccio(パリアッチョ)というイタリア語もあり、これも「道化師」というオペラで有名ですが、やはりこの言葉も、悪口として使われます。Idiota!(ばか!)などはダイレクトな強い悪口ですが、buffone, pagliaccioは、そこまではっきりとは言っていないという感じでしょうか。なお、悪口として良くつかわれる言葉に、vergogna! があります。英語ではShame!と言って、同じ意味ですが、「恥」です。勿論、人に対して投げつけられた場合は、「恥さらし!」という、大変きつい言葉になります。サッカー選手が、決定的なゴールを外したり、代表選手が負けて海外から帰国したりした時に、この言葉は容赦なく浴びせられています。皆さんは使わない方が無難ですよ。

119.nipote(ニポーテ):parente(パレンテ)は「親戚」「親類」「親族」のことを言います。genitoriは複数形で、「両親」のこと。genitoreと単数で使えば、父親の意味だが今は使われない。父親母親はPadre-madre、兄弟姉妹は、fratello,sorellaで、いずれも教会から出てきたものである。(padre=神、神父 madre=修道女、修道院長 frate=修道士 suora=修道女)さて、その次は「孫」だが、これをnipoteという。が、nipoteはもうひとつ意味がある。「甥」と「姪」である。だから、子供を指して言う時に、あれはnipoteだといっても、孫か甥(または姪)か分からない。なぜなのか、父親母親からみると、子供の子供だからどちらも「孫」である。父親の子供からみると自分の子供(figlio/figila)と甥(または姪)で違うのだが、イタリアは大家族主義の国。父親母親を中心に考えると(つまり、おじいさんおばあさんが中心)、子供とその子供(孫)でしかないという考えらしい。なお、ひ孫のことは、pronipoteといい、そのまた下の玄孫(やしゃご)もpronipoteというらしい。ただ、甥の子供は日本語で何というかというと、姪孫(てっそん)とか又甥とか言うらしいが、これも当然イタリア語ではpronipoteであって、考え様によっては、孫あたりから先は関係も薄くなるので、あまり区別しないで呼び名も統一している方が返って親しみが湧くかも知れないですね。イタリアでは、名前は聖人の名などから取るので、Marco, Maria, Pietro, Paoloなど共通の名前が多く大体覚えやすい。nipoteで孫も甥姪も統一しているのは、呼び方を簡単にして親しく付き合うというような知恵も働いているのかなと思う。日本では最近特に名前に方に凝っているので、子供の名前が読みにくいし、覚えにくいが、名字の方は意外と、佐藤、鈴木さんをはじめとして共通の名前が多い。イタリアでは同じ苗字の人に出会うことがあまりなく、出会ったら親戚じゃないかというくらい、苗字の数は多い。そんな中で、変わった苗字も多い。Battaglia(戦闘)、Guerra(戦争)、Tempesta(嵐)さんなどは、私があった中でもすごい名前の人たちだったが、Peloso(毛深い)さんや、Xoccatoさんというのは、Venetoの人だが読みかたは、クソッカートとなるので、ちょっと日本人には呼びかけにくい名前だ。しかし、今この名前のデザイナーがいる。やはりVentoの人なので、私が以前にあったことのある服飾メーカーの娘かも知れないと思っているが、この人の名前は日本では何と発音するのだろう。ソッカートでも通るのかな?。

120.ricevuta(リチェブータ)とfattura(ファッツーラ):イタリアへ公務で出張される場合は、出張精算のために領収書が必要になります。領収書のことを、ricevutaといいます。ホテルなどでは、ちゃんとした領収書をくれます。これは、fatturaといいます。fatturaの方は、タイプアップしてあり、発行者の税務番号などが書かれており、いわゆる正式な税務申告書としての領収書ということになりますが、一般にレストランやタクシーで発行するものは、手書きのものでこれがricevutaです。ricevutaでも、一応は領収書のフォームになっていますので、イタリアでは領収書として処理することが出来ます。領収書を要求しても、普通の紙の切れっぱしに、料金だけを書いたものをくれることがあります。こういう誰でも書けるものは、日本でもそうですが正式な領収書にはなりません。こういうのは、bigliettoといいます。ただ、タクシーなどに領収書を求めるときに、ricevutaと言わないで、Biglietto, per favore! と言ってもくれるものは、ricevutaですから bigliettoとricevutaに大きな違いがあるわけではありません。イタリアでは脱税を防ぐために、商店などではfatturaまたはricevutaの発行を義務付けています。客の方にも貰うことを義務付けています。従い、お店から出たら、誰かに貴方が買ったものの領収書を見せてくれと言われるかもしれません。それは、財務警察かも知れません。もし、貴方が領収書をもらわなかったとしたら、罰せられます。(注意:街の中で貴方に近寄って何か=特にパスポート=を見せてくれと言われた場合、基本的には絶対見せてはいけません。警察だと言ってきたら、まずは疑ってみること。従い財務警察の場合も一旦は疑ってみることです。)さて、イタリア語は良く分からないが、イタリアには良く出張する人が、ricevutaのことを、「リッチな豚」だと覚えていました。なるほどこうすると忘れないそうです。じゃ、さだめしfatturaは「ファットな虎」ですかね。




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